かみくずレポート

越後妻有アートトリエンナーレ 大地の芸術祭2009 その2

8.小屋を転がす

ここからどんどん山へ入る。芸術祭のエリアの北の縁、尾根伝いの道を行く。前線が通過したのか、それとも単に山の上だからか、猛烈な風。クルマの前を木の葉がバサバサと横切り、谷に舞っていく。道路の両脇には、たくさんのススキが波打っている。ススキの隙間からは、遠く谷底が見える。

前回来たときは真夏だったのに、いつの間にか秋が近づいている。

途中、路肩に車を停めて道端で写真を撮っている中年男性を見つける。カメラを向けた先、棚田が見えたので、私もその先に車を停めて外に出てみる。遥か下界に見事な棚田と集落がみえる。映画「七人の侍」のワンシーン、侍たちが初めて村を見るシーンを思い出す。写真を撮っていた男性と話をする。夫婦で棚田の写真を撮って廻っているのだそうだ。

棚田をみに松之山まで行きたいと思っていたが、ここから眺める景色も、ひっそりとしていて本当にすばらしい。棚田の風景はブームになっていろんなところで紹介されているけれど、みんなが騒ぐはるか前から、それはこんなふうに普通に存在していたのだ。

No.80 剣持和夫 白倉庭園

風の強い山道を抜け、少し落ち着いた場所に出てきた。広大な広場。そこにびっしりと生えた写真の花。雨のせいか、地面がかなりぬかるんでいる。近づくと、古い写真が多い。雪の日の記念写真。家族写真。

No.81 伊藤庭花 はなの棲む家

更に進むと、ようやく民家が見えてきた。その一軒。二階に花のオブジェがある。本棚にはたくさんの洋書。この家の主は大学の先生だという。説明員の女性がいろいろ教えてくれた。これまで空き家や廃校の作品を多く見てきたが、いま人が住んでいる家は、気配が全然違うことに気づく。

それにしても、あの道をはるばるやってきて、夜、ここで独りで過ごすのはどんな気分なんだろう。

玄関では、ツーリングの若者二人が談笑している。家の前には湧き水を貯めた水槽。その中で、ビールが冷えていた。

No.82 ロルフ・ユリウス 木々(聞く) ほぼ黒(動く)

No.81から道を挟んで向かいにある蔵と竹林。車を置いて歩いていく。蔵の中は暗く、電球が灯っている

蔵の裏には竹林があって、その中の小さなスペースに木が組まれた場所がある。いつかテレビでみた、鳥の巣のイメージ。

更に進み、山を抜けていく。まずは渋海トンネル。びっくりするぐらい立派なトンネル。

道はとても快適だけれど、寂れた集落の現状をみると、ここまで立派なものが必要なのかという気持ちになる。一方で、このトンネルがあるから集落に人が残っていられるというのもあるだろうし、一時的にでもそれで地元の仕事があったの確かなのだろう。けれど、そこから流れ出てしまったものもあるだろう。「書を捨てよ街へ出よう」にそんな詩があったのを思い出す。けれど、けれど、が頭のなかでぐるぐる廻る。

こちらは大倉トンネル。え、ここを車で通るの?と思うぐらい狭い。対向車が来たらどうしよう。

トンネルは半永久的なもので、それに比べると人の一生はとてもちっぽけなものだ。造った当時にはいろんな人のいろんな希望や思惑があって、でもそういった公共事業の積み重ねが、トンネルに何かを託した人々の人生を丸呑みして、今の私たちに重石のように圧し掛かっている。そしていま、その頃には思いもよらなかったような全然違った目的で、私はこうして走っている。面白いものを目指して走る車、それを運ぶ道。それは100点の回答ではないかもしれないけれど、「造ってしまったもの」に対する、地元としての落とし前のつけ方として、とても誠実なものだと思う。

No.84 西尾美也 家族の制服

だいぶ家が増えてきた。

国道の路肩に車を停め、看板に従って田んぼの脇道を歩く。

稲刈りの時期である。田んぼを眺めながら歩く。歩くごと、1面ごとに稲刈りの工程が進んでいて、それが漫画のようでおもしろい。

そんな田んぼの中に立てられた巨大な写真が三枚。小さく添えられた昔の写真と、同じ服装で撮られた大きな今の写真。人物の変化はもちろんだが、バックの風景の変化に驚く。何もないところが住宅地になっていたり。昔のままのように見えるこのあたりでも、やはり昔と今は違うのだ。

No.86 東京藝術大学 克雪ダイナモ・アートプロジェクト

太い道路に出る。その先を更に進んで旧仙田小学校。鉄筋の立派な校舎なのに、ここも廃校である。中に乗り入れると、前庭に多くの人が集まっていて、なにやら慌しい。

玄関で茶髪の女の子にスタンプを押してもらう。よく見ると、昨日西田尻に居たこへびである。1時からクロージングのイベントがあると言う。あのとき少し会話したはずなのに、まったく覚えていない様子。ちょっとがっかりし、まあそんなもんだとも思い、何も言わずそのまま校舎に入る。

展示は、成果の発表と言う色彩が濃く、どちらかというと頷きながら見る感じである。やや理論先行な感じがする。

校舎内を隅々まで見て、玄関に戻る。スタッフの人が連絡を取り合ってる。イベントの時間が押して、1時半に変更になったらしい。時間が空いてしまったが、さてどうしよう。イベントを見ていくか、そのまま次に進んでスタンプを増やすべきか。

しかし本当は、迷っている理由はもうひとつ。受付のこへびさんに「昨日も見かけましたよ」と声をかけたくて仕方ないのである。普段ならなんてことない偶然の発見が、一人旅だとどういうわけだか、それがゴロゴロと居心地悪く鳩尾あたりを転がって、押さえ込むのに難儀するのだ。

言葉をかけてみようとするも、客は絶え間なくやってくるし、空いたと思ったら休憩にいってしまったり、スタッフに頼まれてビラの整理に走ったり、なかなかタイミングが掴めない。妻帯者の四十男が何やってんだか、と我ながら呆れる。

ようやく人の流れが途絶えた。「昨日、中里に居ましたよね?」そう話しかけると、すこし驚きながら、でも「よく判りましたね」と嬉しそうな表情で応えてくれた。

ただそれだけのことです。

No.85 春日部幹 20 minutes walk

やっぱりイベントは見ていくことにした。時間までに戻ってくる予定で、次の作品へ向かう。が、いくら進んでも看板が見つからない。路肩に車を停め、改めて地図で確認すると、目的地は学校のほとんど隣だった。慌てて引き返し、結局もとの学校に車を停めて、歩いて見に行く。

「瀬替え」と呼ばれる、川の流れをコントロールしてきた歴史をテーマにした作品。我々都会の人間は田舎に来ると「自然は良いなぁ」と言ってしまいがちだが、村の風景だって都会のビルと同じで、人工的に作られたものなのだ。問題は、人の手が入ったかどうかではなくて、人の手が「どう入ったか」なのだと思う。

パスポートをクルマに置いてきてしまい、パスポートを押しそびれる。

番外 No.86のクロージングイベント

小学校に戻る。玄関には別のこへびの女性。事情を話してスタンプを押してもらう。すると、先ほどの彼女が戻ってきたので、軽く挨拶をする。

前庭では、既にイベントが始まっていた。前庭にある小さな小屋を、みんなで協力して倒すのだという。集落の人にスタッフの学生、外国人の姿もある。

軍手姿の人々が、みんなでロープを引っ張る。しかし、小屋はびくともしない。と、そこへショベルカーが登場。小屋の根元を引っ掛けて、切れ目を入れるようだ。人間の方はいったん手を休めて、様子を見守っている。

天気が悪くなってきた。

遠くで何かざわざわとした音がする。「あの音、雨かしら」近くにいた女性が不思議そうに言う。一緒にいたお婆さんがこともなげに応える。「そうよ。ほら、あそこまで来てる」。えっ?振り向くと、広大な田んぼの向こう、「霧」だと思っていたものがすーっと一気にこちらに近づいてくる。大きな水滴がぽつぽつ来たと思ったら、直後に猛烈な豪雨。

本当に滝のような雨である。みんな右往左往しながら散っていく。私も最初は木の下で雨宿りしていたが、耐えられず体育館の軒下へ移動する。

体育館の軒からも雨だれが蛇口をひねったように落ちてくるので、身を縮めて立つ。しかし、子供たちは元気だ。雨だれを頭から浴びてキャッキャと騒いでいる。

身動き取れないまま、ぼんやり雨を眺める。スタンプを集めることへのこだわりが、するすると足元から溶けていく。いつまでも止まない雨。この時間がいつまでも続くような、気持ちの良い錯覚。

20分ぐらい経っただろうか。雨が弱くなってきた。恐る恐る前に出てみる。まわりも、つられて動き始める。まだ水滴が頭にかかるが、もうほとんど止みそうだ。

イベント再開。ショベルカーのエンジンが掛かる。人間たちもロープを引っ張る。引っ張る。やがてバリバリとした音とともに、小屋がゴロン、と転がった。皆の歓声。手を叩いて喜んでいる。

小屋の後を覗くと、水道の蛇口が1つ。無傷で残っていた。見事な計算。見上げると、雲の間から青空。あまりに出来過ぎなイベントである。

出来過ぎついでに、私も話に落ちをつけることにする。前庭に並んで記念写真を撮る人たちを横目に、もう一度玄関へ。さっきのこへびさんに挨拶。ついでに、記念に写真を撮らせてもらう。

いやまあ、何やってるんですかね。