かみくずレポート

越後妻有アートトリエンナーレ 大地の芸術祭2009 その2

10.枯木又、そして赤倉へ

「みよしの湯」という名の立ち寄り湯。車から降りると、雨はあがっていた。本当にくるくると天候が変わる。

No.2 ヴァンサン・デュ・ボア/ピエール=アンドレ・ボネ ライス・ルーム 自転車からの眺め

畑に向かって並べられた3台のエアロバイク。番号の上では、ここが全作品の起点である。試しに漕いでみる。サドルが濡れているので立ち漕ぎだ。

必死になってペダルを漕ぎ続ける。ようやく、デジタル表示の数字が1つ上がった。周りをみると、遥か遠くにおじさんが独り居るのが見えるだけ。誰も見ていないところで独り、蒸発した私のエネルギー。

バイクを降り、「みよしの湯」のホールに寄る。過去の作品の写真展をやっていた。土産物売り場もある。ハッカ飴を買う。チョークのような綺麗な白。レジで、前の人がスタンプを押してもらっている。もしやと思い、私もパスポートを差し出す。疑問がひとつ解けた。

飯山線を渡り、川沿いに東へ。時間がないので、枯木又を目指して、途中は寄れるところだけにする。また雨が降ってきた。

No.3 ドミニク・ペロー バタフライパビリオン

雨のため視界が悪く、何度も道に迷う。ようやくたどり着いたのは、大きな鏡の屋根を持った、メカニカルな作品。見上げて写真に収める。天気だったら青空に映えていただろう。

No.6 芹川智一 田園の中の異国ing(OUTLAND)

コテージの村。時間がないし寄っていこうかどうしようか、迷いながら中を覗くと、受付からぬっと男性の顔が出てきて挨拶される。作者である。案内しましょか?と関西弁で言われる。作者の手前、こりゃさっと廻って済ますわけにはいかないなぁ、そう思う間もなく「それともこの先急いでます?だったらこれ見て廻ってみてください」そういって案内図をくれた。関西ノリの明るいおじさんである。

中は個性的なコテージが幾つもあり、ドックランもあって、みんなで泊まったら楽しそうなところだ。

No.13 京都精華大学 枯木又プロジェクト

一旦117号線に戻り、南下。左折して252号線に入る。途中の作品を無視し、一路枯木又分校を目指す。
右折左折を繰り返すごとに、道が細くなっていく。最後の左折。枯木又への一本道は、舗装こそされているものの、車一台通るのがやっとの幅、両側は鬱蒼とした森である。1キロごとに「あと○km」の看板が立っている。

まだ明るいものの、少しずつ夕暮れが近づいている。深い森の中の一本道をひたすらどこまでもどこまでも走る。いつまでも終わりが来ない。いったいどこまで走ったら森から抜けられるのか。一番近い人家から、どれぐらい離れているのか。まるで、ロケットに乗って孤独に宇宙空間を進んでいるような気分だ。

ようやくたどり着いた分校は、集落からも離れたところにあり、小雨の中ひっそりとしていた。

車を停め、中に入る。受付には、指導教官らしい男性と、学生らしい男女。女性にスタンプを押してもらい、靴を脱いで校舎に上がる。雨の中を歩き回ったせいで、濡れた靴下がひんやりとする。

一階は宙に浮かぶ校舎。

二階は、雲のような雪のような、でもごつごつとした白い床。

二階の窓から顔を出すと、校庭には木々のサークル。誰も居ない。あるのは雨ばかり。

入り口に戻ると、三人が地元のおじさんと談笑していた。私が最後の客なのだろうか。これからどうしようか。

「ここのブログ、すごく面白いのでよく読んでます」そう言うと、すかさず女性の手が挙った。「私、○○です」。ブログの作者(のひとり)とこうして顔を合わすのはなんとも妙なこそばゆい気分だ。

赤倉へ

時間がぎりぎりだが、最後に旧赤倉小学校を目指すことにする。

地図で近道を探す。一旦エリア外、魚沼方面に下り再び上るのが近いとみた。地図を頼りに車を進める。が、細い道をぐるぐる廻り、何度行っても道に迷い、枯木又への看板に出くわす。悪夢のようなくり返し。陽もだいぶ翳ってきた。焦る。明るいうちに、この山中を脱出できるだろうか。

もはやどこだかわからない道を、谷底の道に通じていることを信じてジグザグに下る。またもや終わりがないと思えるほどの坂道。下りに下ったその果てに、やっと国道が見えた。

あとは道を一直線に上る。雨が激しくなる。ライトをつける。途中、雨水が道路一面に溢れていた。「鉄砲水」という言葉を思い出し、ぞっとする。グネグネとした道をひたすら進み、やっと、ガイドブックにあった集落の赤いサインを見つける。

学校はそこから急な坂をあがったところだ。たどり着いたときには、先客たちの車が一斉に出るところだった。その間を縫って空いたところに停めようとするが、場所が狭く切り返しに手間取る。まごついていると、校舎からひとりの少年が出てきて、誘導してくれた。

なんとか車を停め、降りて少年に礼を言う。まだ入れるそうだ。
「せっかくきてくれたんですから。」などと、大人っぽいことを言う。

受付は後片付けの真っ最中、集落の人たちが総出でばたばたしている。スリッパに履き替え、恐縮しながら中に入る。最後の客と言うことで、みんなが拍手してくれた。さらに恐縮してパスポートを差し出す。受付のおばちゃんは、さっきみた集落のサインと合わせて、スタンプを2つ押してくれた。

No.17 松澤有子 enishi 山口紀子 Net Works 小原紀子 再生のカプセル

一階の廊下を進み、体育館に入る。薄暗い中、一面のマチ針の海。観客は私ひとり、とても静かである。座ってのんびり浸っていたいけれど、そうもいかない。

二階は、別の作品と、先ほどの集落のサインのスケッチの展示。廊下を歩き、教室を覗く。私の他にに客はおらず、手持ち無沙汰な地元のおじさんと二人きり。夕暮れ時の校舎内は薄暗く、ひんやりとしていて、静かで、とても寂しい。

二日に渡った一人旅も、もうすく終わりなのだ。

受付に戻り、深く礼を言って外にでる。駐車場には、私の車だけが残されていた。

外から写真を撮っていると、別の地元のおじさんに声を掛けられた。

「どこから来たんですか」「横浜です」「ああ、ここの作家のひとも、今日は来てないけど、神奈川のひとですよ」。確か、新日曜美術館でもそんなこと言ってましたっけ、などなど。

このときにあと何を話したのか、今となってはよく思い出せない。けれど、芸術祭がなければたぶん一生足を踏み入れることのなかった、いや名前を知ることさえなかっただろうこの赤倉集落で、たまたまばったり出会ったおじさんと、世間話を一言二言したことが、今回の旅行のすべてを表しているような気がして、不思議といつまでも心に残っている。なぜだろう。

おじさんに見送られて、小学校を後にする。

No.16 浅見和司 あかくらん

もと来た坂を下り、集落の入り口に車を停め、降りて改めてサインを眺める。

この旅の最後の作品。家々の家紋が集まった、見事なデザインだと思う。

もし自分がここに生まれていたら、どんな人生だったろうと思う。やっぱり都会に出ていただろうか、それとも、地元に残って農業してるだろうか。どちらも、ちょっと想像するのが難しい。それぐらい、自分は今の自分の生活に染まりきっている。ここに住んでいる人たちも、私のような都会からの旅行者をみて、同じこと考えたりするのかな。

自分とはまったく違う色の暮らしがここにある。私の暮らしは、いったいどんな色なんだろう。

置いてきぼり

山道をひたすら下る。夜がじわじわと降りてきて、十日町市街地に着いたときには、もうすっかり闇のなか。最後だし、何かやっているかと思い「キナーレ」に戻る。しかし、中は後片付けの最中で、薄暗い館内は閑散としていた。(後で知ったのだが、同じ時刻、松代の「農舞台」で閉会式をやっていたそうだ)。

拍子抜けしてぼんやりと中庭の空を眺める。誰と一緒だったわけでもないのに、取り残されたような気分だ。四角い空に無数の鳥が、ねぐらへ飛んでいくのが見える。いつ終わるのかと思うような、本当に無数の鳥の川。

名残惜しいが、踏ん切りをつけて、車のエンジンをかける。

へきそば

何度も通った国道を戻る。途中、スタンドでガソリンを満タンにして、ついでに、スタンドのお姉さんにお勧めのへぎそば屋を教えてもらう。

店に入り、蕎麦と天ぷらを頼む。店内にはアベック、学生と教官など数組の客。面白いことに、店内は見覚えのある顔ばかり。この二日間の間に、皆、どこかで会っているのだ。といって、相手はみな覚えているわけではなく。一人旅はこういうところが面白い。旅している間、興味の対象が100%外に向く。恋人や家族、グループの旅行ではこうはいかない。

蕎麦は木製の立派なせいろに波のように盛られていて、食べきれないほどの量。天ぷらがサクサクしてとても美味しかったので、包んでもらうことにした。今度の旅を許してくれた嫁さんへのお土産である。

パスポートを見せると割引とのこと。とても美味しかったし、十日町はとてもいいところだった。お勘定を払いながらそう言うと、店のおばさんはとても嬉しそうな顔をして、おつりと一緒に、次回の割引券をくれた。

我が家へ帰る

店を出る。おばさんは暖簾を片付けて、店の明かりを消した。さっきのガソリンスタンドも閉店して真っ暗、誰もいない。一気に孤独な気持ちになる。

あとはひたすら帰るのみ。暗闇の山をひたすらのぼり、越後妻有に別れを告げてトンネルを抜ける。関越に乗り、ひたすら南へ。サービスエリアで事故渋滞の情報にじりじりしながら、群馬、埼玉、東京、そして横浜へ。日付が変わる頃、やっと家に辿り着いた。

アパートのベルを鳴らすと、嫁さんが玄関まで迎えに出てくれた。たった二日間のことなのに、なんだか随分と長い間会ってなかったような、懐かしい感じがした。