かみくずレポート

越後妻有アートトリエンナーレ 大地の芸術祭2009 その2

2.清津川を下る

最初の作品、清津峡への入り口にある廃屋に辿り着く。時刻は朝9時半頃。

No.131 東京電気大学山本空間デザイン研究所+共立女子大学堀ゼミ うつす家

作品の廃屋には、まだ誰もいない。10時前だと屋内作品が見れないことに気づく。屋外作品を先にしておくべきだった。同じく早く着いたらしいアベックが、諦めて別の場所へ去っていく。それを見ながら、でも外から見ることのできる作品は相当遠く、離れると戻ってこれないので、車を駐車場に停めてしばらく待つことにする。

車中で地図を見ながらプランを練っていると「すぐ開けますから」車の外から男性が声をかけてきた。こへび(芸術祭のサポーター)の男性である。車を降り、後についていく。

男性が鍵を開け、続いてもう一組、中年の夫婦と一緒に家に入る。こへびの男性はブレーカーを上げ、パンフレットの支度を始める。クリアファイルのマニュアルを見ながらの作業。彼も初めての場所のようだ。廃屋作品がどうやって一日を始めるのかが見られて面白い。

土間に靴を脱いで部屋にあがる。暗闇の中に無数の光がつるされている。部屋は床がカラス張りになっていて、天井の光を映して思った以上の広がりを感じる。

No.129 青木野枝 西田尻

ここからしばらく、国道353号線を信濃川へ向かってゆっくり下りながら作品を巡ることになる。

次の作品は少し下ったところ。黄色い看板の通りに左折してわき道に入る。右手に木造のユースホステルが見える。その前で茶髪の女の子がニコニコしながらこちらを見ているのを横目でやり過ごし、しばらく走ってから、行き過ぎたのに気づく。ユースホステルのヘルパーかと思ったさっきの女の子は、実はこへびだったのだ。作品は、ユースホステルのすぐ隣の蔵である。

大小の鉄の輪に包まれた蔵。中に入ると、先客は外国人男性と日本人のペア。国際的なイベントであることを実感する。

作品もさることながら、古い蔵の二重になった屋根の造りが面白い。このあたりの蔵の特徴なのか。こへびさんに聞いてみるも、よくわからないとのこと。その代わり受付で、手書きの地図をもらう。このあたり、いろんな動物が出没するそうだ。

No.130 富山妙子 アジアを抱いて-富山妙子の全仕事展1950-2009

国道に面しているのに、またしても行き過ぎる。会場は廃校になった旧清津峡小学校。廃校というので古い木造校舎だと思っていたら、ここは鉄筋の立派な校舎だった。

「スタンプが壊れてしまったので押せません」。入り口でこへびの男性が申し訳なさそうに言う。こへびは真面目な人ばかりだ。「わざわざご丁寧に」。私の後のおばさん二人連れがしきりに関心している。

作品の方は、絵画、ポスターを中心とした展示となっていて、教室を利用した通常の美術展の形式である。パンフレットの説明から、批評性、社会性の強い作家だと判っていたため、作品も硬直したものが多いのではないかと先入観を持っていたが、良い意味で裏切られる。炭鉱の暗闇の奥に潜む工夫の姿など、重いテーマなのに、ユーモアさえ感じる。それは「暗く辛いなかでも明るく」といった軽薄な意味ではなく。どんな場所にも人間は同じように生きていて、こちらが向こう見ているように、向こうもこちらを見ている、そんなメッセージを感じた。キャリアの長い作家で、作品を観ながら教室を巡ることが、同時に日本の戦後史をたどることにもなっている。とても見ごたえがある。こんな作品がこの旅先にまだ200以上もあるかと思うと、気が遠くなる。しかも、私は、その大半を見ずに帰ることになるのだ。

とても気に入ったので、記念に絵葉書を買う。

No.127 クリス・マシューズ 中里かかしの庭

国道と清津川に挟まれて細長く広がる田んぼに、カラフルな案山子が点在している。その端に車を停めて、田んぼの傍の小道を歩く。私のほかに誰もいない。ときおり国道を車が音を立てて通り過ぎていくほかは、鳥の声が聞こえるばかり。本当に静かだ。草を踏み踏み歩く。慌てたバッタたちの右往左往がおかしい。この案山子、遠くからみるとかわいいのだが、近づくと意外に大きい。ところどころ浮き出た錆に「彼ら」の仕事振りが表れている。

No.128 芝裕子 大地のグルグル

No.127の田んぼの脇にある、とぐろを巻いたトマト畑。トマトを育てること自体が作品になっているが、今年の夏は日照不足ということで、収穫には至らなかったそうだ。畑には、萎びたトマトたちが、記録として留められている。いくつかは食べられそうなのだが。こうした予想外の苦い現実を提示することも、この種のアートの表現方法なのだと思う。

心地良いもの、美しいものだけが表現ではないのだ。

No.126 青木野枝 LIKE SWIMMING

国道の右側、高台にある旧高道山小学校の跡地。国道脇の駐車場に車を停め、学校の記念碑を頼りに坂を上っていくと、更地になった跡地の一角に、錆びた作品が遊具のようにぽつんと置かれている。見渡すと、プールや門の一部が残っていて、ここにかつて学校があったことを思い起こさせる。作品も、同じように時間の風に吹かれている。前の旧清津峡小学校といい、車がひっきりなしに通る国道のすぐ脇でも廃校になってしまう、過疎の厳しい現実に驚く。

遠くに山なみが見える。花がきれいだ。

No.125 内海昭子 たくさんの失われた窓のために

山を下り、視界がかなり開けてきた。

芝の広がる公園に置かれた窓枠とカーテン。私の見た中で、もっとも美しい作品のひとつだ。小さな展望台があって、遠くの美しい景色を窓越しに眺められるようになっているのだが、より美しいのは、カーテンのゆったり波打つ様子だ。

私が着いたとき、先客は窓枠で懸垂をしていた。私の後の若い女性二人組みは、セルフタイマーを駆使して、作品をバックに何度もジャンプの写真にチャレンジしていた。自分も風景の一部になりたいと思わせるものがあるのかもしれない。

二人のジャンプは失敗ばかり。ジャンプしてはデジカメのモニターを覗き、笑い転げている。その様子が楽しくて、「撮りましょうか」と声をかけたら、笑いながら、逆に、そちらこそ撮りましょうか、と言われる。

いや、私はジャンプはちょっと。。。

No.123 ケース・オーエンス ストーン・フォレスト

No.125から道路を挟んで向かい側の高台。もやしのように石が生えてきた感じ。歩いて道路を渡る。先ほどの女性二人組みが先に観ていたので、間隔を空ける。こういうところはちょっと気を使う。

作品は近づいてみると、石が結構大きく、土台の土も荒くて、ちょっと緊張感のあるつくりだ。

近くに小さな社と石碑がある。足元を見ると、きれいな色の小さなアマガエルが一匹。

前回もそう思ったのだが、この地域を走っていると石碑やお墓をよく目にする。どこの集落も、見晴らしのいいところにお墓がある。広い田んぼの片隅には、開墾の碑が立ち、学校の跡地には記念碑がある。亡くなった人、終わってしまったものが、ここでは普段の生活の中に目に見えるかたちで存在している。

No.124 出月秀明 森とつながる

一旦車を出したが、まだ見ていない作品があることに気づき、逆戻り。場所がなかなか見つからかったが、他の人が戻ってくるのを頼りに道を辿り、ようやく辿り着く。

大きな鉄の輪が、まるで中に浮かんでいるようだ。輪の上に、雑草が芽を出していた。