かみくずレポート

越後妻有アートトリエンナーレ 大地の芸術祭2009 その2

7.豚汁の値段

信濃川の西岸に渡り、河岸段丘を一段登り、北へ向かう道を川と平行して進む。まだまだ市街地である。

No.52 足高寛美 パッセージ

川西高校近くのバス停にある長い長い長いベンチ。車を停め、バスが来ないか心配しながら写真を撮る。その長さも面白いが、背後の畑のストライプと椅子の白いラインの組み合わせの構図が面白い。それを写真に収めようと工夫したが、うちのデジカメでは難しかった。

No.53 笹川かおり 囲 kakoi

ちょっと脇道に入ったころにある空き家。家の裏の草ぼうぼうの狭い駐車場に車を停め、家の中に入る。室内は暗く、目が慣れるまで時間がかかったが、慣れてくると、柔らかい明かりと影がぼんやりと浮かんでくる。外の快晴が嘘のようだ。

外に出る。光がきつくてくらっとする。脇道の先に橋が架かり、その向こうに立派なお寺が見える。車を出す前にちょっと寄ってみる。西永寺というお寺。見事な甍の上に、雲がゆったりと流れている。境内から下を見下ろすと、田んぼの稲穂が風でうねって、海のようだ。

晴れているが、気がつけば雲が多くなってきた。風も強い。

No.54 内田繁 境界の神話

元の道に戻り先へ進む。十字路の脇にある、道路工事現場のような児童公園。お盆のときの茄子の馬(あれを何と言うのか?)みたいな動物のオブジェと、なにやら英文の書かれた鉄の囲い。

独りで写真を撮っていたら、別の見学者が軽自動車でやってきた。地元の老夫婦。話を聞いて何となく観に来たのだと言う。どれぐらい廻りました?と訊かれたので、もう延べ三日目なんですよ、と答えると驚いていた。広くて廻るのが大変、というので、近くをくまなく回ると面白いですよ、とアドバイスする。

No.75 岩城和哉+根本修平+東京電機大学岩城研究室 FRP fabric Gopse

No.54からちょっと進んだところ。田んぼの端、プラスチックのパイプで編まれた竹細工のようなオブジェに、願いごとの書かれた無数の短冊が吊るされている。風が更に強くなり、短冊がバチバチと猛烈な音を立てている。

地元の小学生が守っているのか、彼らの書いた看板や置物が置いてある。イラストが楽しい。

見ているのは私独りだけ。周りには広大な田んぼが広がる。気持ちがいい。

No.76 芝山昌也 KAMIKOANI

少しずつ山に入ってきた。

車を止め、坂道を上る。上から見ると、田んぼがだんだん狭くなり、森がそのすぐそばまで迫ってきているのが判る。

途中休憩所があり、おばちゃんたちが「後で寄ってってね」と手招きしている。その声に軽く応え、右へ折れて林を下る。

林に点在する、入り口のない虹色の家々。草を踏みしめながら観て廻る

ちょっと一休み

もと来た道を戻り、誘われるままに休憩所で一休み。麦茶を一杯頂くぐらいのつもりだったのに、山盛りの豚汁をご馳走になる。具が一杯でとても美味しい。食べていると、今度はずいきの酢漬け?に、かぼちゃの天ぷら。こちらもとても美味しい。居合わせた若いカップル、中年の夫婦、独りで廻っている青年、それに休憩所を切り盛りする集落のひと達と話をする。ブヨの話題が出たので、前回の足首の刺された跡を見せたら、カップルはびっくりしていた。

青年には、他の場所の写真を見せてもらう。新潟市に住んでいて、前回も観に来ていて、もう全箇所制覇したそうだ。最後に枯木又まで行ってみたいと言うと、今日の朝廻ってきたとのことで、教えてくれた。

料理の支度をしているおばちゃんに、ここから先の道の様子を教えてもらう。おばちゃんは、忙しくてよそを見に行く暇がないという。「ここはどこも道が良いですね」と言うと、おばちゃんは少し申し訳なさそうな表情で「選挙区が違うんだけどね。。。」と言う。深い意味もなく口に出た言葉だったが、言わなきゃよかったと思う。こちらが思っている以上に地元の人は気にしているのだった。

もう少しでお握りが来るよ、と言われたが、段々混んできたので、出かけることにする。席を立つとき、机の上の「松葉」の箱が目に入ったので、ちょっと考えて、財布の小銭を入れる。

No.77 関口恒男 越後妻有レインボーハット2009

休憩所のすぐ横。小さな水溜りに置かれた鏡に日光が反射して、小さな虹の光が浮かぶ。地元のおじさんが、一生懸命鏡の角度を調整していた。

No.79 三木俊治 里山交響曲/みんなおんなじ地球の子

コンクリートの参道に埋め込まれたアイコン。知らない人が見たら作品に気がつかないだろう。「ここです」、地元の人が書いたのか、矢印付き手書きのメモが面白い。

車を運転しながら、考えていた。美味しいものをご馳走になり、小銭は感謝のしるしだったわけだけれど、お金を入れるその一瞬、この感謝は幾らなのかと考えたわけだ。そのことに対する、もやっとした気持ち。あの食事はたぶん集落の人たちの持ち出しで、その少しでも足しになればいいと思ったわけで、そこに後ろめたさを感じているわけではなく手、ただ、何か感謝の気持ちを表すときに、それ以外の手段を持っていない自分が、何だかつまらないと思うのだ。

No.78 西野康造 この大地と空の間

ゲートボール場のようなグラウンドに置かれた鉄の彫刻。周りに家もなく、独りで見ていると、小さい子供を連れた母親が軽自動車でやって来た。刺激的な作品ではないので、子供はさかんに「ハヤクイコウヨー」と駄々をこねるが、母親はそれをなだめすかしながら、さかんにデジカメのシャッターを切る。ずっと廻っていて、母子連れの姿を良く見る。今日は日曜日なのに、父親はどうしているんだろう。