かみくずレポート

越後妻有アートトリエンナーレ 大地の芸術祭2009

2.二日目 十日町市西部

快晴。宿で朝飯を食べ、朝風呂に入り、9時半ごろ出発。大沢山トンネルという長い長いトンネルを抜け、十日町エリアに入る。

鍬柄沢~池沢~二ツ屋

小川次郎/日本工業大学小川研究室 みらい

脇道に入った集落の中にある、最初の作品。ジャングルジムのようである。車を停め、試しに登ってみる。景色がよい。

道路を挟んだ向かいの高台に神社があったので、そちらにも登ってみる。ここからは、集落全体が見渡すことができる。

山に囲まれた狭いところに、田んぼと家があって、お墓があって、神社があって、水路には水が流れている。田んぼのぎりぎりのところに山の木々が垂直に伸びていて、家も、豪雪地帯だからか、どれも3階建てである。両親の実家のある広島の田舎の風景は、なだらかな山と広い空の横長の風景だが、ここの景色は縦長だ。

小さい土地に生活のすべてがあって、まるで箱庭のようだ。映画か民話の世界に出てくるような美しさである。こんなに美しいところが、旅行ガイドに載ることもなく、ただ存在することに驚く。

No.24 石塚沙矢香 うかのめ

県道334号線を少し下り、山の斜面を横断する細い道を行く。道は細いが、どこまでも舗装されていて走りやすい。これがいわゆる角栄道路なのか。平地は狭く、周りは純日本的な風景なのに、広い外国の道を走っているかのような快適なドライブである。

次は廃屋を利用した作品である。道端に車を停め、すこし登ったところに建つ家に向かう。家へ向かう道の入り口に、地元に集落の方が置いたのか、もてなしのキュウリが、冷たい水に漬けられていた。作品と集落の関係が伝わってくる。ありがたく頂く。

受付の若い凛とした女性にスタンプを押してもらう。こへび(芸術祭のサポーター)だろうか。中に入る。

家の中は薄暗く、そこに無数の白い糸が垂らされている。よく見ると、一本一本にびっしりと米粒が貼りついている。そして、茶碗や皿が、その糸にくくり付けられて中に浮いている。

壁や柱には、これは作者の作為ではなく、そこに住んでいた人の生活の跡が残っている。いったいどんな人が住んでいたのだろうか。

作品に米粒を使うことについて、集落の人たちはどう思ったんだろう、と考える。米の一つ一つを大切にする、信仰に近い思いは、自分でさえある。ましてその作り手である。いったいどんな会話が交わされたのだろうか。

そこに道徳的な非難があったかもしれない。けれど、こうして作品があり、そういうことを想像させることが、この作品のもうひとつの価値であるような気がする。

見終わった後、受付の女性と少し話をする。昨日はお盆休みの最終日でとても人が多かったが、今日は平日なので、それほどでもないとのこと。

車に戻ってから、自分が迂闊だったことに気づく。「あの受付の人って、もしかして作者さん?」「たぶんそうでしょ。気づかなかったの?」嫁さんがこともなげに言う。「でも、作品について何も話してなかったじゃん」「作者って、自分の作品について話したりしないものよ」。ああ、人出のことなんか訊かず、もっと感想を話せばよかった。

No.23 アントニー・ゴームリー もうひとつの特異点

ここも廃屋の作品。広い駐車場があるが、作品は丘の上にある。強い日差しのなか、ゼーゼー言いながら坂を登る。ようやく家が見えた。それを察してか、受付の女性が遠くから大きな声で挨拶を返してきた。

部屋の中は漆黒。部屋の中に無数のワイヤーが張られ、それをくぐりながら奥へ入る。板張りの床に座り込む。ひんやりとして気持ちいい。見上げると、ワイヤーが空中で像を結んでいる。黒い室内に外の日光が入って美しい。

田麦~川治

広い県道をしばらく下り、また脇道に入る。蛇行する道を上がっていく。こんなところに作品があるのか?道を間違えたかと思いかけたとき、右側に作品が見えてきた。

No.22 彦坂尚嘉 フロアーイベント2009

ここも廃屋の作品だが、これまでのものと違い、外に向かって開け放たれていて明るい。床に敷き詰められた無数の丸太が沸き立っているようだ。

ここのこへびの女性は、作者と一緒に作品作りを手伝ったそうで、集落と作品の関わり合いの様子など、いろいろな話を聞かせてくれた。

No.21 ビリ・ビジョカ 田麦の本

「田麦の図書館」という看板が掲げられた、土壁の古い蔵。ここは受付もいない無人の作品である。22からの帰り道を下る途中にある。本当は、こっちに先によるつもりだったのだが、行きは見落としていた。作品番号の看板の下にスタンプが置いてあり、自分で押す。

外見はいまにも朽ちそうなのに、中は、白い石が敷き詰められていて、とても綺麗だ。入ると、蔵だけにひんやりとしている。そこに、布張りのたくさんの白紙のノートが積まれている。訪ねてきた人は、そこに自由に書き込み、あるいは誰かが書いたものを読むことができる。

写真のページは、二年前に誰かが書いたメッセージ。たくさん読んだ中で、誰かこれがとても心に残った。何を思って、雨の日に独りここにやってきたのだろう。

寄ろうかとばそうか迷ったのだが、ここは寄ってほんとうに良かった。

No.19 加治瑞穂 (Re-Analema)←white hole→

もとの県道まで戻り、県道を再び下る。かなり下ったところ、カーブの先に看板が出ていて、慌てて脇道に入る。

のっぱらの駐車場に車を停める。作品は遥か丘の上である。駐車場に地元の人が開いた休憩所があり、野菜などを売っている。おじさんに麦茶を勧められたので、ありがたく頂く。

ここはすぐ判った?と聞かれて、看板見落としかけたと話すと、看板の置き場所も工夫してるんだけど、迷うのも楽しみって言う人もいるからね、と言う。

地元の人はよく良く解ってるんだなぁ、と思う。もしこれが、イベントの内容に関係なく只雇われた人だったら、お客が迷わないようにいろんな工夫をするだろう。けれどこの旅では、快適なこと、効率的なことだけがすべてではないのだ。

礼を言って、歩いて作品を目指す。途中から急な坂道を登る。振り返ると、さっきまでいた休憩所が小さく見える。その先には河岸段丘の風景と、これから向かう十日町市街地が見える。

丘の上はちょっとした広場になっていて、作品はその中に立っている。8の字をした日時計、というか、「年時計」とでも言えばよいのか。季節によって太陽の位置が変わる、その影をトレースする。

もと来た道を戻る。駐車場についたときには汗だく。また麦茶を勧められ、またありがたく頂く。お礼にトマトを買う。