かみくず日記

2004年10月8日 赤鬼

定時で上がる、と宣言すると、ほぼ100%の確率で障害が起きる。案の定、16時30分頃他部署の人から電話。先月末リリースしたプログラムで、直したはずの不良が直っていないという連絡が。そんなはずはないのだが、客先にいるため情報が分からず。分からんのはしょうがなので、後は頼んで切り上げる。

渋谷Bunkamuraで芝居「赤鬼」を観る。野田の芝居は、夢の遊眠社の最終公演以来だから、10年ぶりぐらいか。「赤鬼」は以前テレビで見て感動し、再演したら絶対見たいと思っていたのだが。チケットが取れず諦めていたところ、以前の職場で一緒だった芝居好きのYさんが、私が野田ファンだということで1枚譲ってくれたのだ。

本当に素晴らしい舞台だった。

2004年9月30日 コストを下げろ下げろ

今月は期末ということで、いろいろ無理やりにでも終わらせなきゃきけない仕事が多く、毎週休日出勤でかなりキツかった。いま手帳で調べたら、この2ヶ月で8回徹夜している。俺の夏休みはどこに蒸発した?

まあそれでも、それなりにやりがいのある仕事ならいいのだが。今期は自分のくいぶちを確保するのもやっとな状況で、最終的に3件仕事を掛け持ちすることになったのだが、そのうちの一件は、先々期から続いている品質的にどーにもならんシステムを引き継いだ保守作業で、これが精神的にかなりしんどかった。かなりでかいシステムで、開発に相当金をつぎ込んだだろうに、運用にこんなに手間がかかっていいんだろうか?と思う。一方で、この月曜日に別のお客さんにリリースした小さなプログラムは、2ヶ月の突貫工事でスケジュール的にめちゃめちゃ苦しかったが、今日一緒に仕事した担当の人から、さっそく利用されているというメールを貰い、すごく嬉しくなる。こっちは金額的に小規模だけど、きちんと予定工数内で収まったし。

いまソフトウェア業界もコストを下げろ下げろの大合唱。単価の高い日本人がモノづくりなんかしてたらダメ、人件費の安いインドや中国に発注しろ、ってなことになっているけれど、運用のコストまでトータルで考えると、海外に出すことで本当に安くあがるのか、すごく疑問を感じる。問題は単価が高いことではなく、単価に見合った価値を生み出せていないことではないか。

2004年9月20日 朝のリレー

独身時代、寝坊して駅まで走っていると、通りかかったアパートの一室から、よく、とめ忘れた目覚ましの音が聞こえた。あの目覚ましはいつまで鳴りつづけるんだろう、時間が来たら適当なところで勝手に止まるんだろうか、など、いろいろ考えた。誰もいない部屋で鳴る目覚まし。一人暮らしの部屋の主(うっかり者)によって仕掛けられたびっくり箱のようなものである。ひとが自分の寝顔やいびきを知ることが出来ないように、彼が空っぽの部屋でなる目覚ましの音を聞くことも、絶対に無いのである。「いってらっしゃい」も「おかえりなさい」も持たない、孤独な(孤高の?)部屋の主。その、彼(彼女)の、本人さえ知らないドジな一面が、やはりうっかり寝坊した、アカの他人である私の気持ちに一瞬つながっていく、それはすごく面白いことだと思うわけです。

すごく良いと思っていたネスカフェのCM「朝のリレー」が、全日本シーエム放送連盟(ACC)のCMフェスティバルのグランプリを獲ったとのこと。私は「寝顔編」が好きなのですが、こちらは実は映画「誰も知らない」の是枝裕和さんの作品だそうです。「誰も知らない」のことを調べていて偶然知りました。このCM、谷川俊太郎の詩の力によるところが大きいわけですが、本当に良い詩だと思います。

実は、谷川俊太郎の詩については、先週もうひとつ、考えたことがありました。かなり昔に書かれた「ビリイ・ザ・キッド」という詩です。(以下、抜粋)

・・・俺がの上にあの俺のただひとつの敵 乾いた青空があ
る 俺からすべてを奪っていくもの 俺が駆けても 撃つ
ても 愛してさえおれから奪いつづけたあの青空が最後に
ただ一度奪いそこなう時 それが俺の死の時だ 俺は
今こそ奪われない 俺は今始めておそれない あ
の沈黙あの限りない青さをおそれない 俺は今地に奪わ
れてゆくのだから 俺は帰ることが出来るのだもう青空
の手の届かぬところへ俺が戦わずに済むところへ・・・

俺は殺すことで人をそして俺自身をたしかめようとした
俺の若々しい証し方は血で飾られた しかし他人
の血で青空は塗りつぶせない 俺は自らの血をもとめた
今日俺はそれを得た 俺は自分の血が青空を黄昏くしやが
て血へ帰つていくのをたしかめた そして俺はもう青
空をみない憶えてもいない 俺は俺の地の匂いをかぎ今
は俺が地になるのを待つ・・・

誤解ないように言えば、私は彼をビリイ・ザ・キッドにたとえるつもりも無いし、この詩になぞらえることで、彼のやったことに何か微塵でも意味を与えるつもりもない(というか、与えたくはない)。ただ、そのニュースを知ったとき、真っ先にこの詩が頭に浮かんだ。そして、この結末で本当に良かったのかと、強く強く思ったのです。

2004年9月19日 休み

土曜日に出勤し、仕事が少し進んだので、どうせ今週も徹夜になるだろうということで、日、月は休むことにする。

2004年9月14日 徹夜明け

またまた徹夜。夕方に横浜に出張し、用事が思いのほか早く終わったので、横浜で嫁さんと待ち合わせをして飲みに行く。そして何ヶ月かぶりに、12時前に家に帰る。でも徹夜明けなので「その日のうちに家に帰る」というのは達成できず。

2004年9月12日 江ノ島

たまの休日どこかへ出かけよう、ということで江ノ島へ。島の入り口ぐらいまでは何度か行ったことがあったが、山の頂上まで登ったのは、なんと20年ぶりである。

高校卒業の年、私は大学受験に失敗し、予備校に通うことになった。ちょうどその年横浜では、我々に合わせるように代ゼミと河合塾が相次いで開校し、駿台も事務所を開くなど、横浜戦争(または「子供の喧嘩」)と呼ばれた年で、私も代ゼミに通うこといなった。実は私は代ゼミ横浜校の第一期生なのである。そのときまだ、校舎が完成していなかったのか、入校時のクラス分け試験は藤沢校で行われた。試験は昼過ぎには終わり、時間があったので、目的もなくモノレールに乗り、終点まで行った。そこから細い道をどんどん歩いていくと、海に出た。まっすぐのびた橋をてくてく歩き、江ノ島に渡った。

それまでどうも軟派なイメージがあったのだが、初めて上陸?した江ノ島は、神社へと続く坂道にそって土産物屋や射的場が軒を連ねる、ちょうど京都の清水寺界隈に似た古風なところで、想像とずいぶん違っていた。18歳の私は、当然エスカー(江ノ島名物のエスカレータ)には乗らず、徒歩で頂上へ登った。そこは古ぼけた展望灯台と、煉瓦造りの遺跡のようなものがあるだけだった。私は高所恐怖症なので、地震がきたらあっけなく倒れるであろう展望台などいつもなら絶対に登らないのだが、なぜかそのときは、絶対に登らなければならないのだ、という気持ちになっていた。これから始まる1年間に対する憂鬱な気持ちと、まったく見えないその先の自分の人生に対する不安が後押ししていたのだろうか。

旧式のエレベータで展望台に上がる。扉が開くと、そこは囲いもなく吹きさらしで、板張りの床の切れ目から、遥か地上の緑が見えた。天気は快晴。水平線がぐるっと半周している。私はエレベータを降りた。覚悟を決めて、なんどか手すりまでたどり着き、下を覗くと、そこは断崖絶壁で、その下に海が見える。展望台は山の上だから、崖下の海面からは思っていた以上の高さである。遥か下の海を眺めているうち、ふっと吸い込まれそうな気持ちになる。自殺したいなどと思っていないのは200%確かなのに、なぜかそのとき、今にも体が勝手に動いて手すりを乗り越えてしまいそうな不安を感じ、急いで引き返そうとしたのだが、そのとき、まるで催眠術にかけられたかのように、足がすくんでまったく動かなくなった。。。

20年ぶりに登った江ノ島山頂は、すっかり変わっていました。灯台は建て直され、「遺跡」も整備されて綺麗になっていました(なんでも、歴史的に貴重な植物園の跡だったのだそうです)。灯台は丈夫そうでしたが、、、登るのはやめておきました。

あのときは知らずにそこで引き返したのですが、江ノ島の散策路はその先があったのですね。昔ながら食堂が並ぶ道に沿って山をおり、こぶのように連なるもうひとつの山を超えると、海岸へ降りる急な階段が。そこを下ると、江ノ島の裏側にひろがる岩場に出ました。いや江ノ島がこんなに奥の深い、渋くて楽しいところだったとは。すっかり参りました。みなさんも、もし機会があったらぜひ行ってみてください。とっても良いところです。

2004年9月11日 さびしさ

休日出勤。本当はBEE-IN覗きに行きたかったが。帰りの時間は平日とほとんど変わらず。

昨日の話の続きだが、「さびしい」という感情はすごく大切だと思う。喜怒哀楽というけれど、最近はポジティブシンキングやら自己肯定の名のもとに、喜や楽ばかりが肥大化し、ネガティブな哀が不当に蔑まされているように感じる。けれど、他者と解り合う上で一番大切なのが実は哀ではないかと思う。他者と解り合うということが、相手の気持ちにどれだけ共感できるかということだとすれば、唯一内向きな感情である哀は、共感がもっとも難しい感情である。また、悲しい気持ちを共感すること自体が悪いことだと考える人もいる。しかし、たとえば他人の幸せを素直に喜べないことを恥ずかしいことと思うなら、他人の悲しみをともに悲しめないこともまた、負い目を感じるべきではないだろうか。

2004年9月10日 アテネオリンピック

知らん間に8月もアテネオリンピックも終わった。今年も泳ぎにいけなかった。。。8月は徹夜を5回もやり、夏休みも潰れ、さすがに疲れた。といいつつ、9月に入ってからも早速1回泊まってるし。以前にもっと忙しい時期はあったけれど、そのときは、仲間もいたし、ひとつの方向に向けて頑張ればいい仕事だったので、それなりになんとか切り抜けられた。それに比べて今回は、仕事が3種類で、全部相手(客)が違い、上司も違うで、調整ができない。それどころか、うかつに他所の客の話はできないので、愚痴さえ言えない。そして、こんなに頑張っているのに、現場では1/3しか働いてないないと思われてるし。。。

今回のオリンピックは、日本がメダル争いに絡むことが多かったので、テレビ見る機会が少なくても、なかなか楽しめました。中継が深夜だったのも良かった。ただ、昔感じていた高揚感が、だんだんと薄れているような気もする。以下、雑感です。

  • かつて、オリンピックは「事件」だった。けれど今、それは「ドラマ」になってしまった。スポーツは「筋書きのないドラマ」だと言われる。たしかにスポーツ観戦の面白さは、何が起こるかわからないところと、それを演じる選手たちの真剣勝負にあるのだけど、オリンピックの面白さは、それ「だけ」だったろうか。テレビはドラマとしての面白さを伝えようとあの手この手の工夫をして頑張っていたが、それが逆に、かつて伝えていたはずのいくつかのものを、振り落としてしまっているように思える。
  • テレビの女子サッカーの特集で「オリンピック選手なのにバイトしながら頑張ってる」みたいな話があって、素直に感心したのだが、よく考えてみると、かつてのオリンピックはそうした人たち「しか」出場できなかったはずで、それがニュースになることに、時代の流れを感じる。。。というか、それをすっかり忘れていた自分にちょっと驚いた。
  • (繰り上がりに無念さはありませんか、の問いに)「もちろんです。こういったハンマー投げの仲間の1人がこういう結果になり、ハンマー投げの選手のほか、円盤投げ、女子投てきでも2人が陽性で失格を受けている。非常にさみしい。悔しいというより、さみしい感じがします」。男子ハンマー投げ室伏選手の発言。裁定が出る前、アヌシュ選手のドーピング違反を「期待」するマスコミの論調に気持ち悪さを感じていたので、室伏選手の「さみしい」という言葉がすごく印象に残った。この問題解決の陰には彼自身の毅然とした行動があったわけで、彼は単純な感傷でこれを言っているのではない。実はこの言葉、あとでもう一度耳にすることになる。「(あんなことをしたら)見ているこちら側もさみしくなります」。これは男子マラソンのハプニングの直後、解説の谷口浩美氏の言葉。こちらは記録がないので、少し言い方が違うかもしれないが。靴を踏まれて「こけちゃった」経験のある氏が、選手の受けたダメージを解らないはずはなく、この言葉も決して軽い気持ちで言ったのではないと思う。こういうところに、オリンピック選手の凄さを感じる。

2004年8月29日 ノンセクト・ラディカル

8月最後の休日。しかし朝から雨。映画を観にクルマでみなとみらいへ行くも、渋滞で間に合わず。その代わり、横浜美術館のノンセクト・ラディカル 現代の写真IIIを観る。奈良美智など6人の作家による、非常に時代性、実験性の強い写真展。なかなか面白かった。が、予備知識がないと難しいかもしれない。たとえば、スナイパーの視点から撮ったサラエボの全景の写真(米田知子)をみて、当時テレビのドキュメンタリーでみた「スナイパー通り」のことを思い出したが、ボスニア紛争やサラエボ包囲のことを知らない人がみれば、それはヨーロッパの街のひとつにしか映らないだろう。

2004年8月14日 鬱々とした気分

今日は休み。用事があって昼から横浜に出たが、どうも鬱々とした気分。久しぶりに独りになったのと、仕事のゴタゴタと寝不足と夏の暑さが重なったせい。。。ということにしておこう。あてもなくふらふら歩く。

途中で、嫁さんから電話。予定を一日早めて明日の夜帰るとのこと。これで元気がでるかな。

明日は夏休み最後の日。嫁さん迎えに行く前に、ムキンポさんの関わっているこれのぞきに行こうかな。