かみくず日記

2010年10月11日 アナログ

昨日から1泊で西伊豆に出かけた。中学時代からの友人4人との旅行である。年に一回集まってぐだぐだするだけなのだが、学生時代からもう二十年以上続いている。

渋滞を避けようと昼過ぎに解散したのに、予想外の事故渋滞に阻まれ、横浜まで帰るのに4時間以上掛かってしまった。渋滞の間、車内で何気なくラジオを聴いていたのだが、これがとてもよかった。NHK-FMの「今日は一日“浜松アーカイブス”三昧‐軽音楽編‐」という生放送の番組。あまりに良くて、家に帰ってからも久しぶりにラジカセを点けて残りを聴いてしまった。リスナーからのリクエストに応えてアナログ盤だけをかけていくというもので、一応「アナログ盤で聴きたい軽音楽」というくくりだけれど、ジャズ、ロックから歌謡曲まで、バラエティに富んでいて、でも聞き覚えのある曲が多かったのが不思議だった。以前ラジオで耳にして気になりながらそれっきりになっていた曲に幾つも再開し、曲名や歌手名を知ることができたのだ。それはSamu Kapuの「Chotto Matte Kudasai」だったり、 Frankie Valli版の「Cant Take My Eyes Off You」だったり、Sing Along With JFKの「自由の讃歌」だったり。あと、CDで持ってるシュガーベイブとDonny Hathawayのアルバムが特集で全曲流れたのも楽しかった。

カーステレオなので、アナログのそんなにはっきりアナログの質感が楽しめたわけではない。ただ、音源をずっと探しているがどうしても見つからない、といったリクエストの内容を聴いていて、若い頃常に持っていた、音楽聴くことへの「切実さ」を思い出したような気がした。

2010年1月5日 どこかで誰かが居なくなるということ

4日に休みを取ったので、一日出遅れて今日が私の仕事始め。しかし、朝イチの新着メールが既に40件。その整理をする間に電話やら割り込み作業やらで作業は溜まる一方。全然調子がでない。

昨年末に亡くなったフジファブリック志村君のこと。日記にも書いたけれど、たくさんのファンがいるというのに、あの公式発表だけというはあまりにひどいのではないか。ファンの側も、そんなに簡単に受け入れてしまっていいのか。ミュージシャンとファンの関係ってその程度のものなの?今の若い人にとって、本当の知り合いでなければ、人の死なんてその程度のものなの。など、正月はそんな落ち着かないひっかかりを感じながら過ごした。私は彼らのファンではあるけれど、世代的には随分離れているので、死の受け止め方も、若いファンと違って、距離を置いたものがある。親しい友人が亡くなった喪失感というよりは、成長を楽しみにしていた後輩を失った気持ち。悲しいが、それを身近な者の死として捉えられないもどかしさ。でも、そのもどかしさの中にこそ、どこかで誰かが死ぬということの本質なのではないかと思うのだ。

ネットでは、若い人達の多くが、こうした「悲しみ」や「もどかしさ」といった感情を「悪いこと」として忌避しているように思えた。本当のところはどうなんだろう。そう思い、mixiのあるコミュニティに、率直な気持ちを(ややオブラートに包んで)書いてみた:

死因なんてどうでもいいのだ。

只々、どんな最期だったのか知りたいと思う。

それは野次馬根性でも興味本位でもなく、本当によく聴いた歌を作り歌った人が、どんな人で、どんなふうにこの世から去っていったのかを知りたいという気持ちで。親しかった友達が、恋人が、否、親しくなくたって、嫌いだった人でさえ、ちょっとでも関わったこと人が突然姿を消して、見知らぬ誰かから「あの人は亡くなりました」とだけ言われて、それを「ああ、そうですか」と受け入れることは、私には、どうしてもできない。

やっと平穏な心を取り戻した方には、心を乱すような書き込みでごめんなさい。

自分自身は訃報を聞いた日も、普通に食事をしたり、テレビを見たり。

ただ、通勤途中、一曲ずつ聴きなおしながら、車窓を眺めて、何度も何度も考え込んでしまった。

あの公式コメントは、最も近くにいた人たちが、ものすごく考え抜いた結果だと思う。だから今は受け入れるけれど、受けとめきれないそういう気持ちがあることを、ここに残しておきたくて、あえて書きました。

いつか時期がきたら、いつでもいいのでファンに話してほしいと思う。

それまで気長に、でも忘れずに待っていることにします。

反発も予想したが、それはなく、共感したという主旨のコメントを幾つか頂いた。共感してもらえる人が少なからずいたことが嬉しかった。

2010年1月4日 食い倒れの大阪

正月は、1日は実家。2日の朝からクルマで大阪へ行き、義母の見舞いをして、4日の明け方に帰ってきました。大阪では、実家の義弟がインフルエンザのため、道頓堀近くの安宿に泊まることになり、短時間ですが大阪観光をしました。千房でお好み焼きを食べ、純喫茶アメリカンでコーヒーを飲み、インデアンカレーで火の出るような甘辛いカレーを食べ、法善寺横町で夫婦善哉を食べ、餃子の王将で餃子を食べるという、ベタな食い倒れツアーとなりました。

あと、初詣は東大阪にある石切神社へ。ガイドブックにもあまり載っていないところですが、これがとんでもなく良いところでした。できものやガン封じにご利益がある神社なので、年配の方に人気がある神社で、参道の商店街は東京で言うところの巣鴨に近い雰囲気なんですが、どういうわけだか占い屋だらけ。その内容も、子供の姓名判断やら縁談やら、東京で若い女の子が行列するようなのとは全然違う。あと、商店街は生駒山の裾野を上っていくかたちになっていて、高台から、大阪の全景と、夕方には見事な夕陽を見ることができます。

2010年1月1日 10年代の始まり

明けましておめでとうございます。

今年はどんな年になるのか。特に仕事が、さっぱり検討がつきません。せめて自分ができることを着実にやっていきたい。とりあえずは、明日~明後日の大阪往復自動車旅行を事故なく完遂すること。関ヶ原の雪がひどくないといいんだけれど。。。

2010年1月1日 生ライブ

3連休の中日。晩飯何食おうか嫁さんと話していて、先週の大阪旅行の余韻で、また「餃子の王将」へ出かけた。

桜木町にあるその店は、びっくりするぐらい人が待っていたが、どんどん掃けて、そんなに待たずに入ることができた。自分は定食のセット、嫁さんはタンメン、あと餃子にレバカツ。腹一杯食って、食いきれない分は容器代10円払って持ち帰りにした。

この店が面白いのは、作っているひとの姿が見えて、しかもそれに活気があるところだ。店の売り文句にも、変な日本語だが「生ライブ」というのが掲げられている。安さを売りにした店は今たくさんあるけれど、ラーメン屋を除くと、誰がどんな表情で作っているのか見えないところが多い。どんな風につくっているのか見えれば客は安心だし、なにより楽しい。それは作っている方も同じだと思う。デフレが問題になっているけれど、安いことが単純に悪いのではない。労働が安く買い叩かれて、こうした仕事の楽しさが破壊されていることが悪いのだと思う。

2009年12月26日 茜色の夕日

昨日はクリスマスの夜にもかかわらず、遅くまで残業。帰り際、PCを落とす間際、何気なくチェックしたネットのニュースで、フジファブリック志村正彦の急死を知り、慌てて嫁さんにメール。

家に帰って改めてニュースや公式サイトなどをチェックする。しかし、亡くなった時の状況もなく、ただ「検査の結果は病名不詳」とあるだけで、何も判らない。若いのにあまりに突然で、とても「ご冥福をお祈りします」なんて言う気分になれない。

私はこのバンドが好きだ。初めて観たのは2005年のロックインジャパン。若いバンドらしい全力疾走の「虹」や、詩の美しい「茜色の夕日」などが気に入り、その後都内のライブにも足を運んだ。2007年のライジングサンでは、二日目の真夜中、スカパラとやった「Surfer King」の激しい演奏が耳に残っている。こうして思い出すと、ライブで聴く機会の多かったことに気付く。それは、そのとき自分がどこで何をし、何を考えていたかを思い出すということだ。

2009年9月27日 黄金町バザールと横浜開国博

先々週、独りでもういちど越後妻有に行き、先週の5連休は疲れてほとんど家。昨日は黄金町バザールと横浜開国博へ行った。

黄金町バザールは去年以上にゆるーい感じでこちらもゆるーく楽しめた。開国博は、、、開幕直後に赤レンガまで行きながら中に入らず帰り、特に行く気はなかったのだけれど、最近あちこちでいろんなことを言われていて、そこまで言われているのなら、ひとつ自分の目で確かめなくては、と思い、観にいくことにした。夕方5時過ぎると安くなるので、それを狙ってベイサイドエリアへ。

自分の目で確かめた感想はというと、ラ・マシンは凄く良くて、でも他がイマイチでと、世間一般の感想、そして事前の予想とほぼ同じでした。

ただ、嫁さんとはじめそういう感想をぶつぶつ言いながら廻っていたんですが、土産物屋のおじさんや、どこかのブース(よく覚えてないけど、消せる落書きができるところ)のお姉さん、歴史ブースの瓦版売りとか、来た人を一生懸命楽しませようとしている姿を見て、少なくともこの場で、そういうことを大声で言うのは止めようと思った。自分は地元だから好きな時間に気軽に来て勝手なこと言えるけれど、たとえば、地方からわざわざ赤レンガを観にやってきた親子連れが、すぐ横でこんなイベントやっていたら、どんなに慎重な親でも、寄らずに帰ることはできないだろう。そうして入ってきた子供たちが、横で「つまんねー」と言ってるのを聞いたら、どう思うだろうか。実際、そういう無神経な光景を何度も見た。言ってることは自分の感想と変わらないけれど、それでも何か間違っていると感じた。ここは「ななし」の世界ではないのだ。

せっかく横浜に来たのだから、たとえ期待通りでなかったとしても、それは例えば、札幌の時計台が小さかったり、長崎の出島が島でなかったりといった、よくある「観光地がっかり」のひとつとして、いつまでも笑いながら思い出してくれればと思う。そう願うことは決して迎合でも事なかれ主義でも空気を読むことでもなく、逆にこの問題をきちんと批判していくための、地元民としてのささやかな「落とし前のつけ方」だと思っている。

7時からのラ・マシンを見た後、急いで大桟橋に向かう。日比野克彦のFUNEプロジェクト。終了時間直前で10分ぐらいしかなかったが、とても見ごたえがあった。150艘のダンボール船はどれもユニークで、その発想の豊かさに驚き、後で、すべて実在の船があると聞いて更に驚く。この企画、去年の横浜トリエンナーレのときから気になっていたけれど、そのときは見ることができず、今回公式サイトで事前に調べたものの、情報が分かりづらくて、無料だということも、閉館時間が早いことも、着いてから初めて知った。越後妻有とも関係しているという。どうしてこっちをもっと宣伝しなかったんだろう。

チケットが高すぎるとか、せめてフリーパスにしろとか、あのクモを街に出せとか、私のような素人が思いつくことは、たぶん現場は先刻気づいていたはずだ。だから、問題はそんなことではないと思う。適正価格ならうまくいったのか。あの過大なグッズの量は、見込み違いだけの問題なのか。クモを外に出すことについては、警察の許可が出なかったと新聞に書いてあったけれど、そこを頑張ってなんとかするのが行政の役割ではなかろうか。勝手な推測だけれど、経済効果や採算といった数字ばかりに目を奪われて、中身を見失っていたことが、コンテンツの貧弱さをうみ、現場の足かせになっていたのではないか。だから、チケットが高いというのは、事実ではあるけれど、表面を同じ価値観で反対側からなぞっているだけで、本質を撃っていないように思う。

閉館のアナウンスが流れ、ダンボール船の林を縫って、慌てて出口へ向かう。途中、小さな破損を熱心に直している係員の姿があった。別の係員の女性が、片付けていた船を誤って倒してしまうと、小さな子供たちが何人も駆け寄ってきて、一緒になって起こしていた。それを見て感じたこと思ったことが、イベント全体でもっと感じられたら良かったのにと思う。

2009年8月18日 越後妻有アートトリエンナーレ2009

夏休みにどこにいくか。仕事に追われてゆっくり考える余裕もなく、休みのシフトを後半にしてようやく仕事が片付いたのは、休み前日の12日。嫁さんは「青森行きたい」「白神山地がみたい」などと言っているが、青森は遠いし、歩きを億劫がる嫁さんには白神山地はハードルが高い。近場で温泉でも行くか。そんなことを考えていたら、新聞で大地の芸術祭の記事を読み、まあ温泉だけじゃなくイベントもあったほうがいいかな、ぐらいの軽い気持ちで、新潟に行くことにした。

公式ガイドブック買ったりして、一応下調べはしたものの、正直言ってそれほど期待をしていたわけではなかった。屋外の現代アートのイベントはいくつか経験したことがあり、それなりに楽しいことは判っていたが、それは予想の範囲だった。しかし、実際行ってみて、なんというか、それは、非常に揺さぶられる体験だった。

新潟県十日町市で開催されているこのイベント、2000年に始まって、今年で4回目になるそうだが、不覚にもこれまで、存在自体を知らなかった。東京23区を越える面積のところに300点以上の作品が散らばっていて、今回見たのは1日半で17作品、全体の5%しか接してないので、全体をあれこれいうことはできないんだけれど、とにかく、横浜に戻って1日経つけれど、あれは何だったのか、と考えてしまう。

2009年7月26日 フジロック09

今年は1日だけ、土曜日に行ってきました。

朝5時半には出るつもりだったのに、前日は終電まで仕事をしていたため寝坊して、起きたら7時。しかもそのせいで、関越の事故渋滞にも巻き込まれて、苗場についたのが13時半。昼の時間をだいぶロスしてしまったけれど、一日だけと割り切った分、余力を残さず朝までフルに回れた。

天気は曇り時々晴れで、一時雨はぱらついたものの、大雨になることはなかった。ただ、金曜日の豪雨の影響で、地面が相当ぬかるんでおり、スニーカーだと相当厳しかった。ひどいところだと、置いた足が持ち上がらず、靴が脱げそうになるぐらい。ただ、重い思いして長靴を持ってきた人たちにとっては、履く機会が多くあって良かったのではないかな。今年は長靴レインブーツブームの影響で、女性の長靴レインブーツ率がとても高かった。苗場の山で、ファッションなどかなぐり捨てて自然発生的に生まれた長靴文化が、無名の女性ロッカーたちの創意工夫でカラフルなものに進化し、さらに彼女たちは街にまで繰り出した。それが(その後、めざとい商売人たちの追い風を多少受けつつも)ブームとなって元のの場所に戻ってきた。自分はフジはまだ2回目なので、過去のことは映像や文字でしか知らないけれど、そう考えると、とても面白いと思う。

ステージでは、ZAZEN BOYS、忌野清志郎スペシャル・メッセージ・オーケストラ、BOOKER T.、石野卓球、THE SHOESなどが良かった。あと大道芸も。

スペシャル~は、最初と最後、彼の生前のライブ映像と生演奏がリンクするステージで、本当に彼が生き返ったかのようなライブで、胸が熱くなった。途中のゲストも、彼の歌を歌う前、その歌と自分とのエピソードを語っていて、そこにアーティスト同士の友情というものの特別な濃さを感じた。あと、ゲストのCharaが登場して、少し喋った後、さらに何か喋ろうしたときバックの演奏が始まり、苦笑いしてそのまま歌に入ってしまった。翌日のニュースに彼女が離婚したことが出ていて「フジロックでは何も語らなかった」と書かれていたんだけれど、きっとあれは何か、リハーサルになかったことを喋ろうとしたんだと思う。ステージが終わり、清志郎の自転車の映像が流れる中、振り返ると会場の奥まで観客がびっしりで、しかも、ほとんど誰も、動こうとしていなかった。

BOOKER T.は、決して派手なステージではなかったけれど、ベテランの凄さで、淡々と演奏しながら観客をぐいぐい乗せていく。22時半からという遅い時間の、しかもORENGE COURT(会場の一番奥のステージで、ドロドロ具合も一番)で、観客も半ば朦朧とした感じなのに。最後に、清志郎の歌のことを短く語り(デリケートという言葉だけが聞き取れた)スペシャル~で歌った歌をもう一度聴かせてくれた。フジは今回が初めてだとあとで知っただが、本当に心に残るステージだった。

BOOKER T.が終わってからは、ゲートをいったんでて石野卓球を見たあと、RED MARQUEE(一番ゲートよりの屋根つきステージ)に戻って、飯を食ったり大道芸見たりステージ見たり踊ったりして過ごす。

RED MARQUEEの外にでると、いつのまにか空がうっすら明るくなっていた。食べ物の屋台はほとんど営業していて、祖の前で、踊ってるひと、食ってる人、寒さに震える人、座ってボーっとしてる人、寝てる人。寝てる人以外、ほとんどすべての人が、ビートにあわせて体が揺れていた。

2009年7月19日 台地に立つ

d20090712-01時間があったので、夕方から、クルマ飛ばして見ににいってきました。クルマから見てそのまま帰ろうと思ったのに、しおかぜ公園横の道路からはまったく見えず、場所間違えたか?と思ってしまった。近くの駐車場が満車で、仕方なくパレットタウンの駐車場に入れて、徒歩で引き返して公園に入りました。

思っていた以上にリアルでした。あと人が多くてびっくりしました。まるで野外ライブのようでした。