かみくず日記

2003年3月20日 再び大使館

空爆始まる

新橋駅に着いたのが7時半。北口のバス停からバスに乗る。通りがひどく渋滞しており,霞ヶ関の方を見ると,パトカーのランプが激しく光っており,嫌な予感。

d20030320-01案の定,虎ノ門から先,道路脇に警察のバスが何十台も停まっている。バスを降りると,怒号の渦。今日は新左翼も来ているらしく,それを取り囲むもの凄い数の機動隊。警察が拡声器で公務執行妨害云々と叫んでいるのが聞こえる。大使館への道は,特許庁の前,外堀通りに面した坂の入り口ですでに完全に封鎖されており,大使館に近づこうとする多くの人々が足止めを食らっている。そこで雨宮処凛さんを発見。挨拶をし(といっても雨宮さんははこっちを覚えてなかったみたい),状況を教えてもらう。曰く,大使館への道はすべて封鎖,ただし用事によっては通れる場合もある,とのこと。とりあえず溜池から六本木通りへまわってみることに。しかし,六本木通りも,大使館に通じる道はすべて警察が立って検問中。通りはプラカードを持った人たちが抜け道を探して行ったり来たり。その内の一グループに状況を聞くが,やっぱりダメのよう。ただ,六本木通りは外堀通りほどは堅くなく,封鎖区域内に勤める会社員などはするっと通っている。私もウソ言って突破しようかと思ったが,ウロウロしてたからバレバレだろうと思い,止める。

。。。と言いつつ,五分後に私は大使館前に居たのでした。どうやって突破したかはナイショ(ウソもついてないし,違法なこともしてないですよ)。

d20030320-02大使館前ではロフトの増田さんに遭遇。ビデオで撮ってもらうが,にやけてしまってNG。その後しばらくして平野さんと謎のサラリーマンMさんが登場。「どうやって入って来たんですか!?」と聞いたら「いや,あっちから普通にきたよ」とのこと。何でだ~。しばらくして,二人が増田さんと引きあげた後,今度はナイフさんとムキンポさんが登場。ムキンポさんから,逮捕者がでたことを聞かされる。

だいぶ前から,「攻撃が始まったら6時半にアメリカ大使館前に集合」という話はネットで流れていて,今日も1000人以上集まったらしいのですが,とにかく大使館の周りは400メートル四方に渡って封鎖されてしまい,集結することなく終わってしまったのでした。とにかく,周辺は猛烈に混乱していて,本当ならもっと写真を撮って記録しておくべきだったのですが,封鎖区域から出たら戻れなくなってしまうので,あまり動くことができず,非常に残念。

でも本当に残念なのは,当然ながら,攻撃が始まってしまったことなわけで。私の場合,別に実効性を求めて大使館に足を運んでいたわけではないけれど,それでもやっぱり,何とも言えない虚脱感は残ります。

2003年3月19日 アメリカ大使館へ

昨日のクラクラ感に昼過ぎまで悩まされる。まあ,割り切って頑張っていくしかないか。

夜は都内。新橋駅東口のロータリーで六本木経由渋谷行きのバスに乗り,霞ヶ関三丁目で降りてアメリカ大使館へ。集まってるのは100人ぐらい。「謎のサラリーマン」ことMさんに出くわす。ふとんINで見かけた面々も。

いったん抜けて国会裏も覗いてみるが,寝袋に入ってソプラノサックスを吹く青年が一人だけ。聞けば,昼間は歩道一杯に人が集まっているとのこと。

再び大使館に戻ると,髪型ぴっちりの男二人が,警察に囲まれて大声挙げている。アメリカ支持を訴えに来たらしい。トラメガを取り出し「日米同盟を堅持しーろー」「似非平和主義者はかーえーれー」。親米というより,反左翼らしい。そのうち「U!S!A! U!S!A!」の大合唱(二人で)。挑発には乗るな,ということでみんな無視。しかし,中にはカリカリきてるひとも。私はというと。。。まあそう人もありかなってことで,あんまり腹は立たなかった。それにしてもUSAコールか。あと「極左はかーえーれー」とも叫んでたけど,この大人しい集団を極左呼ばわりしたんじゃ,本物の極左が怒るよ。反対派との間を警察がブロックしていたので,とりあえず衝突はありませんでした。

d20030319-01集まっている人たちは,本当に雑多。ゼッケンつけてハンストしてるひともいれば,静かにキャンドルを掲げるひと。戦争ほーき(写真)を掲げるひと。途中で川田龍平さんも登場。年齢層も女子高生からおじいさんまで。ただ,若い人の割合が多く,都内だというのに会社帰りの人が少ないのはちょっと意外でした。で,そういった人たちが。トラメガ回してスピーチしたり,大使館に申入書を渡しに行ったり。自然発生的に,いろんなイベントが起きていました。

スピーチの合間には戦争反対コール。でも私,これだけはちょっと敬遠ぎみ。だって照れるし,なんか宗教みたいじゃん(って,宗教そのものを否定する意味じゃないです)。声を揃えなくたって,人が集まる喧噪の中,いろんなひとの主張や会話や歌が聞こえていればいいように思うんだけど。実際,私もそうだけど,プラカードも持たず,ただ立つくす,座り込むだけの人もたくさんいた。テレビで見るのは派手で元気のいい人ばかりだけど,別に声だせって強制されるわけでもないし,プラカードなんか無くても大丈夫なんだけどね。だから,都内にお勤めの方,明日,会社帰りにどうです?

あと,そっと入りこんできた公安を若い連中が発見,「何やってるんだ!」と大声をあげ,取り囲んで追い返す場面も。公安は警備のラインの向こうに逃げ,追いかけた青年が怒って警察と衝突,さっきの二人組の煽りも加わって,局所的でしたが,一時危ない雰囲気でした。

2003年3月18日 クラクラ

昨日の続きで更に爆発的にブチ切れそうになる。で,ブチ切れることができないので,頭がクラクラした。

1998年ぐらいから去年まで派遣先でやっていた仕事について,自社の今度の課長から,あの仕事はまったく無意味無価値,あんな仕事を真面目にやる人間は無能だという主旨のありがたいお言葉を頂きまして(怒)。あのとき責任者だったろうが。なのに現場に一度も来なかったアンタに言われたくはないよ。まあ,成果主義というのが,ババの押し付け合い,無責任体制を助長するひとつの例ですかね。自分の成果を守るため,火中の栗は他人に押しつけ,他人の利益は横からさらう。これじゃ,会社が赤字になって当たり前。別件でこっちにも非があって,だから強く言えないところが悔しい。これから自分のやる仕事が,全部彼の成果になると思うと,絶望的な気分になる。

。。。すいません。不機嫌な話で。話を変えます。

イラク攻撃の期限が切られましたね。(ああ,これも不機嫌な話題。。。) イラクってどんな国か知りたい方には雨宮処凛の『悪の枢軸を訪ねて』がお勧めです。イラクの普通の庶民の様子が明るく描かれていて,それでいて,アメリカによる支援と裏切りの歴史についてもきちんと知ることができます。独裁体制に対する見方がやや甘いような気もしますが,それを差し引いても,書かれている内容は,ブッシュ大統領やアメリカのメディアが流しているものとは大きく違っています。ちなみにこの本,デモのときの飲み会で,雨宮さんにサインして貰いました。雨宮さん,エキセントリックな人なのかなと思って以前は勝手に敬遠してたのですが,最近『自殺のコスト』を読んだら,これがすごく気に入って,それ以来ちょっと気になってます。

あと,もう放送が終わってしまいましたが。この前のNHKスペシャル「アメリカとイラク」も見る機会があるといいのですがね。

  • クウェート侵攻直前まで,アメリカは対イランのためフセイン政権を支援していた。
  •  そのためにアメリカは,炭疽菌まで輸出していた湾岸戦争のとき,アメリカはクルド人・反政府勢力の蜂起を軍事的に指導しておきながら,その後,政権崩壊による混乱を恐れて手を引き,その結果,多くの人々が見殺しとなった。
  •  国連の査察団の中に実際にアメリカのスパイがいた。

などなど,あの番組で紹介されたことは,きちんと世の中の常識になっているんでしょうかね。こんなことやっといて「ならずもの」呼ばわりはないだろう。

2003年3月17日 晴子情歌

会社でちとブチ切れそうなことがあったが我慢。幾つになっても,生きていくって難しいですな。

去年出てすぐ買って途中で放ってあった,高村薫『晴子情歌』。また読み始める。彼女の作品を読むのは忍耐とパワーがいるので,去年はちょっときつかった。今は,とっかかるぐらいの力ならある。一旦入り込むと,言葉がするっと流れていく。

いつも粗野で無骨な中年男,美しい青年ばかりを描く彼女が,女性をきっちり描いたのは今回が初めてではないかな(ファンの人,教えて)。性のヒネリが入っていない分,作者の世界観がこれまで以上にストレートに出ている気がする。(原文は旧漢字)

…当面の苦労はあっても,そこそこ食べていける限り,自分の生きる道に迷ひのない人生というのがかくも穏やかで明朗なものかと,私はいつも眼を見張るやうな心地でした。歓喜にも失望にも疲労にも意気込みにもはつきりとした輪郭があり,それらを区切るのは健康な眠りで,朝は常に新しい。単純な生き方ほど生命にとつて望ましく,精神にとつて健やかなのだと強く感じた私は,自分も出来ればそんな風に生きたいと思ひ,日記にさう云ふ意味のことを書いたのを覚えてゐます。『アンナ・カレーニナ』の登場人物,大地主のレーヰンが自分の農場で労働の喜びを発見したのが,農民への理解と云ふ善意と一つであったのとは違ふ,理解でも善意でもない生きることそのものの単純さを,私は欲しい,と。

…しかし一体,かうして英語教師の野口康夫は死に,一人の漁夫が生まれたのでせうか。私はそのとき何の返事も返せず,昏い海を見続けるばかりでしたが,思ふに,さうして康夫が何を発見しようと,漁夫や農夫たちの単純で強靱な生はたぶん,私や康夫の手中にはない何ものかであるのでした。折々に別の生のありやうを幾分か感じ取ることは出来ても,人にはそれぞれ自分とは重ね合はすことは出来ない断層が予め備はつてゐいるに違ひないのです。先日,私は生きることの単純さを欲しいと日記に書きましたが,足を砂だらけにして浜を駆けていく男女を愛らしいと思ふこころは,さう云ふ人生が手中にない者に与へられてゐるに違ひないのです。

2003年3月16日 空き地を耕したのは。。。

ロフトのおじさん板にここのアドレスが出てて,ちとびっくり。あんまり人に教えてないんだけど。まあ,アドレス書き込んでくれたムキンポさんには,こっちから無断でリンクさせてもらってたので,構わないのですが。

ただ,一応断っておくと,ここは極々私的なことを綴る予定でして,今月はたまたま世の中がああいう状況なので,内容もこういう風になっているだけなのですよ。だから,運動系の情報を求めて来られた方には,残念ながら期待に添えないと思います。ホント私は,野次馬に過ぎないので。

その点,ムキンポさんのところはすごく充実してます。私が,今までほったらかしだったこの土地に,とりあえず日記だけでも書くようになったのは,一つはムキンポさんの影響だったりします。(もう一つは,職場の人の影響なんですが,それはまたの機会に。。。)

2003年3月15日 2003年3月15日 またデモ

本当は行くつもりがなかったのですが,いろいろあって結局またデモへ。

d20030315-01今回のコースは,夜6時半に千駄ヶ谷を出発し,原宿を抜けて渋谷駅前を通り,宮下公園がゴール。千駄ヶ谷では昼間に真面目な集会がありましたが,そちらは観ず(というかその時間は寝てた),原宿駅の先(北側をずっと行った原宿外苑中学あたり)でデモ隊を待って合流しました。デモで原宿を通ったことは何回かありますが,いつもは表参道ばかりで,竹下通りの前を通るのは今回が初めて。信号待ちの人でごった返す原宿駅・竹下口では,通行人とデモ参加者がごっちゃになっていました。

韓国の民族音楽のグループ(あれは何と呼ぶのでしょう?)があり,お坊さん達の太鼓があり,またその他いろんな音楽があって,いつものように賑やかなデモでした。しかし,参加人数が多かったことにより,緊迫した場面もありました。

d20030315-02顔見知りが居ないかと列の中を泳いでいたのですが,原宿駅を過ぎたあたりで,車線をはみ出した一部参加者と,それを押し戻そうとする警察との小競り合いに遭遇。スタッフがその都度うまい具合に間に入り,大事には至らなかったものの,ピリピリした空気が。穏健な参加者が多いデモの中で,そこだけ突出していて,代々木競技場前の坂道では,一時10人以上の公安がそのグループの横に集結して歩道を併走。いつもは人混みに紛れているおっさん達が,集団でぞろぞろ歩いているのは,変な光景でした。それじゃ目立ち過ぎるって。

と書くと笑い話のようですが,小競り合いが起きたとたん,そのうちの1人がダーっと道路の反対側に渡り,現場にカメラを向ける,逮捕を想定したような場面もあり,実際はかなり心配な状況でした。その後,電力館前の信号では,そのグループのところでデモ隊を分断して,また小競り合いが発生。前の隊列は知らずにどんどん離れていき,間にいた参加者たちが前の隊列のところに走っていって大声でストップかける,という事態も。また,渋谷デモの要所(と私が勝手に思っている)丸井前でも,交差点のど真ん中でまた小競り合いが。

そうこうしながらも,双方の当事者を含むすべての人々の忍耐と努力で(笑)無事ゴール。部分的には緊迫したものの,全体的には明るいデモでした(だから,これ読んだ人も敬遠しないでね)。今回の参加者は主催者発表で2000人だそうです。

まあ,デモにああいう小競り合いは付きものだから別にいいのですよ。アピールする側も,経験や法的な知識があるから,どこまでがOKでどこからがマズか知って動いているし,逮捕されるということがどんなことかよく分かっている。末端の警官も,高圧的なコトを言ったって,やっぱり最終的には面倒なことは避けたいと思ってるだろうし。要するに両者ともバカではないということで。けれど,これから,そういう知識のない人々が大量に入ってきたときどうなるか。今まで「お巡りさんは私を守ってくれる人」という枠組みの中だけで生きてきたひとが,そうではない枠組みの中で,果たして正しく行動できるかどうか。

知識のない若い人が無計画に暴れて痛い目に遭う,という心配が一つあるわけですが,それより,今まで警察を無邪気に信頼していた穏健な人々が,そうではない枠組みを知ったとき,その反動でどう変化していくのか,それがすごく気になります。純粋な人ほど極端に走る傾向があるし,「自分たちの運動は昔の運動とは違う」と思っている若い人たちは,昔の苦い教訓に耳を傾けてくれるかどうか。

2003年3月14日 引越し延期

今日は職場の引っ越しのはずが,土壇場で延期に。どうやら,引っ越しにかかる費用の見積もりがとてつもない額になったため,上から待ったがかかった模様。

予定が変わるのは迷惑だけど,これが無意味な異動を見直すきっかけになるなら大歓迎。

2003年3月13日 業務連絡など

業務連絡!プレゼント,届くの明後日になるかも。つまらないものだけど,届いたらまったり味わってください。以上。

で,話は変わって。

World Peace Nowのサイトの端の方に載っているふとんIN@国会前というのが,前から気になっていて,でもリンク先を読んでもイマイチよく判らない。で,今日から始まるというので,仕事帰りに覗いてきました。

だいたい場所の説明からして「衆議院第1~第2議員会館、参議院議員会館前および外務省周辺」と非常にアバウト。新橋駅で降りて,さてどっち方面に行こうか思案し,とりあえず国会議事堂(議員会館)の方へ。残業してから行ったので,時刻はもう10時近くです。溜池山王から議事堂への坂を上ると,人通りは少なくなり,逆にお巡りさんや警察車両が増えてきました。ちょっと緊張。職務質問されないよう,いかにも「この辺に勤めてます」という顔して,お巡りさんと眼を合わさないように歩きます。そうしてようやく国会裏に到着。「なんだ楽勝じゃん。」 と突然,近くに居たお巡りさんのレシーバーから声が洩れてきました。「えー,眼鏡をかけた20代から30代ぐらいの男性。××方面に向かって。。。」って,俺のことかい!?

d20030313-01議員会館前では,数名の若者とおじさんが1人,フリーマーケットの出店風のスペースでダベっていました。でも肝心の布団がありません。寝袋です。聞けば,警備のひとに布団はダメと言われた,とのこと。ちょうどみんなが食事に行っているということで,人数が少なく話のしやすい雰囲気だったので,ちょっとお邪魔させてもらいました。

30分ちょっとぐらいの時間でしたが,世間話したり,パソコンで3月8日のデモのビデオを見せて貰ったり,差し入れのおつまみを食べたり。その間,遅い時間だというのに,何人もの人が訪ねて来る。真夜中の東京のど真ん中,まるでピクニックをやっているようで,妙な感じでした。

で,帰り際に写真撮らせてもらいました。ここのアドレス教えたけど,観てくれてるかな?

2003年3月12日 事故

[東京 12日 ロイター] NEC<6701.T>は、国土交通省東京航空交通管制部(埼玉県所沢市)の飛行計画情報処理システム(FDP)が1日にダウンした問題について、自社が作成したプログラムのミスが原因だったと確認されたと発表した。NECは、同社幹部が同省を訪れ、謝罪したという。  NECによると、同社は、次期FDPシステムを開発しており、次期システム開発チームが1月末に、現行システムのプログラムのミスを発見していたという。しかし、同省には報告しなかったという。NECは「大きな問題につながるという意識がなかった」(コーポレート・コミュニケーション部)と説明している。

ソフト屋として気になるところです。新聞にはバグの内容がもう少し細かく出ていましたね。推測するに,データのエラー処理に抜けが見つかったが,そんなデータ絶対来ないし,手を入れて問題が起きても困る,ということで放っておいたら,システムが変わって「当たり」のデータが来ちゃった,ってところでしょうか。

実は,1月に「去年は食品関係のトラブルが多かったけど,今年は運輸関係で大事故が起こる」という予測を,どこかの掲示板に書き込んだのですが,どうも本当になりそうな気配があって,ちょっと怖いです。この手の事故はこれからどんどん増えると思います。

2003年3月11日 ナンバーガール

NHK-BS「新・真夜中の王国」でナンバーガールのラストライブを観ました。

いやー,凄いです。ナンバガはライブバンドだって誰かが書いてたけど,まさにその通りだと思いました。彼らのCDは2枚持ってるけど,ライブはまた全然違いますね。私はロックにそんなに詳しいわけじゃないので,他と比べてどうだってことは言えないんですが,とにかく,爆音に揺さぶられ,引きずり込まれる感じ。君らいったい何者なんだ!と問いつめたくなるほど。解散してしまったなんて,すごく残念です。