かみくず日記

2003年7月9日 高原へいらっしゃい

週末に嫁さんが帰ってきて、掃除、洗濯、料理をして、火曜日に帰っていきました。今日は教習所で2度目の卒業検定に挑むはず。頑張ってこいよー。

というわけで今週も独身生活です。が、いつも午前様なので、家でのほほんとする余裕もなく、つまらないです。テレビも見てないし、新聞も取ってないし(新聞の勧誘を待ってるのに、なかなか来ないのです)、世の中どうなってるかぜんぜんわからない。

テレビといえば、噂によるとドラマ「高原へいらっしゃい」がリメイクされるそうですね。新聞のテレビ欄がないので、いつやるのか(やってるのか?)分らないのですが。。。といいつつ、ウェブで検索したら出てました。なんだー、今日やってたのか。

オリジナルを見たのは、たぶん小学生の頃。大人向けのドラマで、小学生にとって面白い要素なんてなかったはずなのに、なぜかすごく記憶に残ってます。特に、故・田宮二郎扮するホテルの支配人が、独り場末のバーで、禁を破ってウィスキーを口にする場面は、子供の知ってはいけない、生きることの絶望感、孤独感を覗き見たようで、息の詰まるような気持ちになったのを覚えています。(って言ってる意味が判るようなリメイクだと良いのですが)

あと、主題歌も印象的でした。こんな歌詞です

昨夜(ゆうべ)みた夢のなかで
僕は石になっていた
見知らぬ街でひとに踏まれて
声を限りに叫んでた

夜の心の暗闇から
夢はわいてくる
醒めても夢は消えはしない
けれど「おはよう」の朝はくる

ずっと後、大学生になって、小室等のレコードを借りて聴いたとき、偶然、この歌と再会しました。そして、これが谷川俊太郎の詩だということを、そのとき初めて知ったのでした。谷川の詩は高校から浪人、大学にかけて愛読しており、この詩も実は読んでいたのですが、歌として耳から入ってくるまで、ドラマの記憶とは結びつかなかったのです。それは、すごく不思議な経験でした。

2003年7月9日 結婚行進曲

うちの相方、実家に帰っちゃいました。。。といってもまあ、夫婦喧嘩でも成田離婚でもなく(って新婚旅行行っとらんだろう)。春から行っていた自動車教習所が、式までに終わらず、続きをやりに大阪に帰ったのでした。黙ってましたが、実は先週の初めからです。ということで、振って沸いた一人暮らし、思う存分満喫しようと思ったのですが、家財道具を揃えたり、この前の土曜には友達の結婚式で名古屋に行ったりと、ばたばたしているうちに、気が付いたらもう七月です。ここの更新もずいぶんあいてしまいました。お祝いメールなんかももらったのに、返事もかけず、不義理してます。すんません。

お祝いメールといえば、共産趣味者のまつきさんから、お祝いに「結婚行進曲」のファイルを頂きました。始めは「あれ、結婚行進曲ってこんな曲だっけ」と思いつつ、だんだん意味が判ってきて大笑い。ネットで拾ったそうで、作者不詳だそうです。「私が作った!」という方、ぜひ名乗り出てください。

2003年6月15日 とても私的な出来事

挙式当日です。同じホテルに泊まっているので余裕です。が、時間どおりに受付にいったら、みんなやたらばたばたしています。「結婚式って、慌しいもんなんだな。。。」そう思いながら控え室で服を着替えていると、衣装係の人が「今日は自動車だったんですか?」「???」。そこで気付いたのです、受付時間を30分間違えていたことに。

いやー動転しました。挙式にはなんとか間に合ったのですが、本当だと、花嫁さんとご対面してまったりするところが、会うなりすぐに写真撮影。カメラマンの言う通りにあっちいったりこっちいったり。係りの人は「そんな気にしないで式のことだけ考えてくださいよー」と笑ってましたが、そうはいかんでしょう。悪いことに、金曜日の職場でのことも心の中にもやもやと残っており、ダブルの効果で意気消沈。リハーサルでは、カメラマンにも教会の牧師さんにも「表情硬いですねぇ」と言われまくってました。

救われたのは、相方がすごく冷静だったこと。リハーサルの時にぶれていた心の重心も、彼女のおかげで、本番が始まるころにはだいぶ落ち着いてきました(でも後から聞いたら、そのときはもう緊張の絶頂で余裕なんて全然なかったのだそうな。どうも彼女は緊張が顔に出ないタイプらしい)。

落ち着いたとはいっても、やっぱり挙式では緊張しました。楽しむ余裕も周りを見る余裕もなく、あっという間に終了。でも大きなミスがなくてほっとしました。挙式は、式場めぐりをしているときにいろいろ見たとき、外国人の若い牧師さんが英語訛りの日本語でカッコよく聖書を読んだり、賛美歌の演奏に余計な楽器が入ったり、そういう感動的な演出を「ちょっと違うんじゃないかな」と思っていたので、とにかく質素になるよう、牧師さんは日本人のなるべく年配の方をお願いし、賛美歌も楽器のオプション(料金内)をあえて入れないで合唱+オルガンのシンプルなものにしました。たとえ一時的な「ファッション」であっても、宗教の形式を借りるからには、その瞬間はその宗教をきちんと信じて、「素の」かたちでやるべきだと思ったのですよ。で、その結果、すごく厳粛で落ち着いた式になりました。

挙式の後は、集合写真の撮影があって、そのあと披露宴。披露宴は、招待客も40名弱とホテル挙式にしては少人数で、媒酌人もなし、主賓(上司の招待)もなし、挨拶も4名だけという「密度の低い」内容だったので、以前から、間が持たなかったらどうしよう、白けたら困るなぁ、及第点が取れればそれで十分、などと思っていたのですが、蓋を開けてみたら、これがびっくりするほど上手くいきました。人数の少なさと挨拶の少なさが幸いしたのですよ。お客さんが気兼ねなく歩き回れる、ちょうどよい会場の広さと人数だったので、知らない者同士でもみんな結構話してくれて、最後のほうには、両家の親戚だけでなく、友達関係も入り乱れての、すごく和気あいあいとした雰囲気になりました。今はやりのアットホームな挙式を目指したわけではないのに、というかそんなの自分たちには無理だと思っていたのに、結果的には自然にそうなりました。

ただ、ちょっと残念だったのは、ビデオを頼まなかったことです。音楽にはちょっとこだわって、一部差し替えをして、それが本当にバチッと決まっていたのですが、後で相方に聴いたら、緊張でぜんぜん聞こえてなかったとのこと。そこではたと気付いたのですが、写真では音楽は残らないんですよね。でもまあ、そうして「記憶にしか残らないこと」というのも、それはそれで味があるとも思います。

今こうして書いていて、結婚の実感まだ沸いてません。本当はここで、結婚の決意とか、相方へのメッセージなんか書きたいんだけど。。。それは、これからの生活のなかで、だんだんと固まってくることなのかな。今日はただ、「一生に一度のこと」の余韻を感じつつ、寝たいと思います。(というか、明日も忙しいだよなー)。

2003年6月14日 眠れない

大阪に来ています。なんで大阪に来てるかというと、明日、大阪で私の結婚式があるので。

いやー、でも疲れました。金曜日は定時であがって散髪して新調したメガネとってきて荷造りしてと思っていたのに、金曜日、期限の資料作成が終わらず、課長からは見積もりを月曜日までに出せといわれるし。「来週前半いないんですけど」って言ったら、「何だっけ?」だって。結婚するっててこの間言っただろー。大体、この前エレベーターで課長に会ったので結婚の日取りの話をしたら、なぜかその直後ぜんぜん知らない会議にいきなりひっぱり出されて、その席上、有無を言わさず「金曜日までに資料を作ってね」だって。まあ、木曜日にダウンする私も悪いのですが。でも、「おめでとう」の一言もないのはどうだろう。結局昨日は終電に間に合わず会社に泊まり、翌日家に帰って風呂に入って、横浜で用事をすませてきました。結局、うちの職場で祝福してくれたのは、庶務のKさんだけでした。なんか虚しいですね。さあ、深夜にここを読んでいて、かつ私のピッチの番号を知ってるあなた!独身最後のかみくずさんに励ましのコールをしよう!(新郎は早く寝ろって?これから最後の挨拶を考えないといけないので、まだ寝られないのですよー)。

でも、前夜だというのに、実感がぜんぜん湧かないです。さっき彼女に電話して、その話で苦笑。まあそんなもんかな。私としては、結婚云々というよりは、何年もの間こうやって彼女を大阪を訪ねてきたのも、これで最後になるということのほうが、感慨深いです。

2003年6月6日 SL広場

朝,会社に行く途中,銀行で結婚式の内金を納めてきました。全体の9割を先に納めて,残りと当日足が出た分は後で払います。うちは二人で折半で,来週払う予定だったのですが,今日たまたま時間ができたので,とりあえず彼女の分も立て替えて払ってしまいました。いやー,判っていることとはいえ,通帳が急に寂しくなりました。。。

d20030606-01夜は早めに仕事が上がったので,まっすぐ帰ろうかと思ったのですが,ヴォイカマの路上ライブを思い出して,新橋に寄り道。

ライブの場所となった新橋駅前のSL広場は。金曜の夜ということもあって,とにかくオヤジだらけ。10代の若者なんて皆無。そんな中,ヴォイカマは一生懸命歌い演奏してました。本当は最前列でガンガン盛り上げてあげるべきだったのですが,今日の私は非常にしんどかったのと,「応援団」もいるようだったので,失礼して,ちょっと離れた植え込みのところで腰掛けて聴いてました。離れて見ていると,通りがかりの人の反応がよく分かって面白い。みんな,やっぱり足を止めますね。素通りする人も,会話聞いてたら,みんな誉めてるし。1回目が終わったところで挨拶にいったら,もうすっかり顔を覚えられてました。なんだかこそばゆいです。

ライブは3回やったようですが,私は今日非常にしんどかったので,2回目が終わったところで抜けてきました。新橋駅のホームに上がってから,デジカメ1枚も撮ってないことに気づき,慌てて1枚。でもこれじゃ,どこに居るのか全然分からないですね。1回目2回目はまだ時間が早くてみんなまだ飲んでる時間帯だったので聴衆も大人しかったけど,酔っ払いがおそらく大量発生したであろう3回目は,どんな雰囲気だったのかな。

あ,そうそう。告知によれば,明日,日本テレビの深夜番組で,ヴォイカマがちょろっと紹介されるそうです。というわけで,みんな見ましょう。

2003年6月5日 BGM

結婚式のBGMの差し替えが今日までなのですが,昨日の晩に作ったMDの発送が間に合わず。式場に電話して,明日必着の約束。仕事も余裕があったので,フレックスで早めに退社して,東京のレンタルオフィスで少し手直しして,夜7時に東京中央郵便局から,翌朝10時に着く便で発送。やれやれ。

BGMなんてもともと凝るつもりは無かったので,何も考えてなかったのですよ。式場からサンプルテープを貰っていたのに,テープレコーダーが手元になくて,ずっとほったらかしにしてました。で,直前になって聴いたら,ぱっとしない曲ばかりだったので,慌てて対策。でも,時間がなかったので,最初の立礼~入場と,最後の花束贈呈~おひらきのところしか作れず,「見せ場」のところは全部式場にお任せになってしまいました。無念です。

昔,芝居をよく見に行っていたころ,自分も演出の仕事がやってみたいなぁ,と思っていた時期がありました。当時私の好きだった「夢の遊眠社」という劇団は,音楽が素晴らしく,また自分も部活でずっと音楽をやっていたので,そういう仕事には今でも憧れがあります。だから今回は,一生に一度,自分で音楽の演出ができるチャンスだったんですがねぇ。

遊眠社と言えば,5月にやっていた野田秀樹の「オイル」,見に行くつもりだったのに,結局だめでした。なにしろ結婚の準備と引っ越しでもう頭が破裂しそうだったので,とてもそんな余裕はなかったですよ。野田の芝居は,自分の学生時代の思い出と重なっているので,独身最後の記念に是非見たかったのですが。

しかしまあ,そんなものでしょう。だいたい「~の記念に」なんていう理由でやったことって,たいてい記憶に残らない。本当にいつまでも思い出に残ってることって,そのときは無我夢中で,先のことなんて考える余裕もなかったりする。ああだから「人生とは思い出づくりだ」っていうのは,あんまり正しくないと思うわけで。高校時代,部活を引退する先輩が「俺達は思い出作るために音楽やってるんじゃない」という名言を残したのですが,まさにその通りだと思います。思い出は,作るものではなく,出来るものだと思うわけです。

芝居って映画や音楽と違って,そのときに見ないとダメなんですよ(音楽もライブは別ですが)。なので「オイル」を見逃したのは非常に残念です。でもそういう残念な日常というものがひとつの「ものがたり」となって,自分の記憶の中に残っていく,そういうのが,人生の面白さではないかと思うのです。って,なんかえらい大風呂敷だなぁ。

2003年5月16日 〈民主〉と〈愛国〉

式の打ち合わせをしてきました。一ヶ月前なので,決めることが多く,時間も3時間かかりました。バテバテ,でも充実した一日でした。いろいろ精神的に吹っ切れたものもあったし。
帰りに新大阪駅の本屋で小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉』を購入。車中で序章から第1章まで読む。かなりの力作。

2003年5月11日 サリンジャー

僕の話はこれでおしまい。もし話そうと思えば,僕が誕生日にうちに戻って何をしたか,どんなふうに具合が悪くなったか,ここを出たあと6月からどんな部屋に住む予定か,そういう話をすることもできる。でもどうも気が乗らないんだな。ほんとの話。今のところそういう話をしようという気持ちになれないんだ。。。ってなわけで,村上春樹訳「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(ライ麦畑でつかまえて)を読み終えました。連休中に買ったのに,部屋のことやら式のことやらで忙しく,読めたのは会社の行き帰りだけでした。これじゃ連休中買った意味なかったですね。旧訳との違いとか感想書きたいんだけど,とにかく時間が足りない。

2003年5月6日 連休疲れ

連休明けは疲れますね。そういえば,明日は私の誕生日だって知ってましたか?私はすっかり忘れてました。

さあ,かみくず先生に励ましのお便りを書こう!

2003年5月5日 観覧車

d20030505-01午後,横浜で髪を切ってきました。さっぱりしました。で,その後,市営地下鉄に乗って,センター北駅の都筑阪急へ。

阪急に何の用事かというと,結婚式の引き出物に阪急のカタログギフトを贈ることになって,その見本のカタログを貰いに行ったのですよ。実は昨日,有楽町の阪急に行ったのですが,あれだけ大きいにもかかわらず,目的のカタログがなく,店員さんに「横浜の都筑阪急ならもっといろいろあるんですがねぇ」などと言われて,それで出かけたわけです。有楽町なら絶対あるだろう思ってわざわざ出向いたのに,横浜にあったとは,灯台もと暗しでした。

有楽町の店員の話からそれなりに大きいとは思っていましたが,屋上にでっかい観覧車があるのにはビックリしました。そういえば,本家梅田のHep Fiveの屋上にもでかい観覧車がありますね。取締役に観覧車マニアでもいるんでしょうか。

d20030505-02で,店の中も,大きな吹き抜けがあって,なかなかゴージャス。写真には写っていませんが,滝があって,川も流れてます。川と言えば,これも梅田の「川の流れる阪急三番街」を思い出しますね。一歩間違うと成金趣味ですが,まあぎりぎりの線でとどまってる感じ,かな。こういう「なんで観覧車やねん」「なんで川やねん」とツッコミを入れたくなるセンス,関東ではあんまり見かけませんが,私は結構好きです。

で,目的のカタログは簡単に見つかり,そのまま帰るのもつまらないので,屋上に出てみました。そしたらなんと,夜景が見事でした。遮るものがない広い平野に,家の灯りが点々と散らばっており,ところどころ,駅のある場所には,ビルの灯りが密集している。同じ横浜でも,みなとみらいなどとは全く違った種類の夜景でした。