かみくず日記

2017年10月11日 運動会で

連休中、娘の幼稚園の運動会があった。頑張り過ぎて筋肉痛が酷い。
自分が発達障害と診断されて良かったことのひとつは、自身のために必死に調べたことが、娘の成長や幼稚園の取り組みの理解にとても役立っていることだ。幼稚園の方も、英才教育や大人受けする見栄えする行事ではなく、園児同士の社会性、コミュニケーション能力に重きを置いていて、その重要性が一層よく解る。

全員がニチームに分かれてくす玉割り。片方のくす玉割がなかなか割れない。しばらくすると、先に割った側の年長組がワラワラと加勢に入り、年中年少が後に続く。ようやくくす玉が割れた。

年少組(三歳児)は自分のくす玉に集中するのがやっと。ゲームのルールを理解して動けるのは年中組(四歳児)からのようだが、今度は過度にルールに拘泥されてくる。ゲームの意味を理解して、状況を読んで相手チームに加勢する五歳児の柔軟さ。その逸脱は三歳児の気ままさと表面上は区別が付かないが、実はとても高度な技量だ。子供の成長と園の良さを感じた。

2016年10月9日 サイトのデザイン変えました

サイトのデザインを変えました。
これまで自前のスクリプトを組んでやっていたのですが、ちょっとしんどくなってきたので。
まだ修正の不十分なところがありますが、少しずつ見直していく予定です。
また直すにあたり、過去の日記を見直しました。

2014年8月15日 朝日新聞

従軍慰安婦報道に関する朝日新聞の検証記事「慰安婦問題を考える」(2014-08-05)について、保守系の政治家や報道機関が鬼の首を取ったかのようにはしゃいでいるが、何考えてるんだか、と思う。

この問題が拗れた原因の一端には、保守系のメディアやネットユーザがこの問題の論点を意図的に「吉田証言の真偽」「強制連行の有無」だけに絞り続けたこともあると思う。私がこの問題に関心を持って調べ始めたのは90年代中盤頃だったと思うが、その頃読んだ肯定派の主張のほとんど、たとえば吉見義明「従軍慰安婦 」(岩波新書:1995年)などでも、吉田証言は取り上げられていない。それはそうだろう。否定派が主張するように、吉田証言は真偽が明らかではないのだから。ならば実態はどうだったのか。肯定派は否定派の批判を取り込んで、より真摯な調査を進めているというのに、否定論者はみずから否定した「吉田証言」だけによりかかって主張し続けてきた。もはや私が(そしてネットユーザのほとんどが)「吉田証言」について知る手段は、否定派の主張からだけなのである。

これは相当におかしな構図だ。たとえば刑事裁判で、検察側が取り下げた証拠、しかも自分にとって不利な証拠を自ら提出して議論するなどということはありえない。(1)AはBだけに基づいている、(2)Bはウソだ、(3)故にAはウソだ、という主張は(1)も(2)も真でなければ成り立たない。しかし、(1)は肯定する側からは主張されていないのである。

こういう稚拙な、議論に勝つためだけの悪しきディベートをやり続けたことが問題を混乱させてきた思う。朝日が訂正記事を出したことで、根拠を失った否定派は今後はどんな迷走をしていくのか。

2013年3月23日 バラスト詰め放題

東急東横線の旧渋谷駅跡でイベントがあるというので行ってきた。
一駅分の入場料を払って中に入る。ホームの間の線路に蓋がされ、写真パネルや鉄道グッズの出店、子供向けの記念撮影コーナーなど。 中央にはステージも組まれ、向谷実のライブなどあるらしい。

この日一番の目的は「バラスト持ち帰り」の企画。一日限定1,000名、500円の袋を買うと、ホーム先端の先に広がる線路に下りて、バラストを好きなだけつめて持ち帰れるというもの。線路に降りるのは、都会だとなかなかできない体験だ。

バラスト詰め放題といっても、持って返って何に使うんだということで、線路に降り立って駅を眺める。これまでなかった目線だ。

今から20年以上前、大学通学の乗換駅だった。休みの日も、映画を観に、芝居を観に、あるいは何の目的もなくとりあえず、何度となく向かった駅だ。彼に振られて呆然と電車を待っていたこともあった。しばらく後、その女性とばったり会ったのも、東横線から山手線に乗り換えるあの階段の途中だった。しばらく後、それは今でもずいぶんと長い期間だったような気がするのに、 実はたった4年間の内の出来事だったのだ。

時間はずいぶん過ぎてしまった。

2011年4月17日 ここのところ

ここのところいろんなことがあり、疲れたので今日は家で休息。昼前に起きて朝食をとり、昼寝をしたら夜だった。

地震や原発については、日々思うことがあるけれど、現実があまりに重過ぎて、何を書いていいかわからない気持ちだ。うちは両親、嫁さんとも西日本の人間で、東北にはほとんど親戚がいない。唯一は妹の旦那の母親の実家が秋田というぐらい。それは幸せな、いや不幸ではないということなのだけれど、新聞で連日、胸のつぶれるようなエピソード読んで、同じ時代に暮らしていながらなぜ彼らだけがそういう目に遭わなけれならないのか、只々嗚呼と思う。そしていろんな言葉が渦をまく。それをなんとか言葉にしたいと思うが、できるだろうか。

2010年11月27日 完全避難マニュアル

嫁さんとフェスティバル/トーキョーの「完全避難マニュアル」。散策もかねて巣鴨へ向かう。途中、池袋で下車して、三度目の「パブリックドメイン」見学。

巣鴨はとげぬき地蔵の商店街を散策。避難所を通り過ぎてしまい、見つけたときには時間を過ぎてしまった。どんなところか判らず、千円も取られるし、どうしようか迷ったが、扉を開けてみた。

結果、扉を開けて大正解だった。

巣鴨の避難所で進められるままに、鶯谷と巣鴨へ。鶯谷では、いっしょに居た人たちの偶然にびっくり。神田は、なんじゃこりゃという避難民ラッシュ。スタッフの人たちも居て、いろいろ考えさせられる話も聴き、楽しい時間が過ごせた。

2010年11月23日 Jugbandって何だ

久しぶりに実家へ。飯食ったら猛烈に眠くなり、2時間近くも寝てしまった。

家に帰り、テレビを何気なく観ていたら、横浜ケーブルテレビのチャンネルで3人組ジャズバンドの楽しげなライブ映像。クラリネット兼ボーカルの女性の歌い方が愛嬌があってとてもよい。bigood bandというバンドで、「Yokohama Jugband Festival」という春にあったイベントのだそうだ。そんなイベントがあったなんて、地元なのに全然知らなかった。というか、来年は見てみたい。

2010年11月14日 パブリック・ドメイン再び

先週の「パブリック・ドメイン」、外から見たらどんな風なのか見てみたくなり、再び池袋へ。

西口公園についたら演技の真っ最中。ちょうど先週問題にした場面だったが、今回はうまく進んでいる様子。

ベンチに座って見学。ヘッドホン着けてたときより話のつながりが判って面白い。スタッフの女性がチラシを配りに来たので、先週観たことを話して、いろいろ訊いてみた。質問の内容はこれまでまったく変えていないそうだ。

終わってから、公園内のテントでカフェの寸劇を立ち見したあと、「完全避難マニュアル」の池袋避難所へ。

2010年11月13日 APEC

APECでみなとみらいはどうなってるのか?気になったので出かけてみた。

2010年11月7日 パブリックドメイン

池袋のフェスティバル/トーキョー。「パブリックドメイン」(演出:ロジェ・ベルナット )を観にいく。というかやりにくというべきか。新宿西口公演を舞台にしたワークショップのような野外劇。

内容が内容だけに、初演はいろいろトラブルがあるだろうと2回目の公演を選択したのだが、先週の台風で1回目の公演が流れ、今日が初日になってしまった。HPのプログラム以上の情報もなく、果たしてどんなことになるのか、まったく予想できないまま参加。

まだ公演中のため、ネタばれになるので詳細は書かないけれど、不思議な体験だったことは確かだ。ヘッドフォンを着け、そこから流れていく質問に導かれて物語を演じていく。通りがかりの人々に、我々はどう映っただろう。質問の中には、その人の人格の機微に触れるものもあり、それを表明する人の表情と、それを見る周りの視線、その両方をみる自分の中に泡立つものがあった。そういう考え方をするひとは世の中に当然何割かはいて、と頭で理解していることでも、それを表明する生身の表情、しぐさを目の前にすると、そういった「想像だけの理解」というものが軽率に思えてくる。

途中、質問が厳しくて、二人以上必要な筋書きで「演じ手」が男性独りしか集まらない場面があった。みんなが戸惑う中、男性の機転の利いた「演技」でストーリーはなんとか進んでいったが、こういうハプニングも芝居の一部と考えると面白い。もしかしたら、次の公演では質問をいろいろ練り直してくるかもしれない。けれど、あの場面では質問なんか無視して誰かが飛び出して行くのが良かったのだと思う。そういった「演じられた偶然性」があの芝居の本質なのだから。

ならお前が出て行けば?と思うかも知れないが、私は、敵対するグループの役だったので駄目だったのですよ。それに、求められていたのは「女優さん」でした。。。