2004年9月20日 朝のリレー

独身時代、寝坊して駅まで走っていると、通りかかったアパートの一室から、よく、とめ忘れた目覚ましの音が聞こえた。あの目覚ましはいつまで鳴りつづけるんだろう、時間が来たら適当なところで勝手に止まるんだろうか、など、いろいろ考えた。誰もいない部屋で鳴る目覚まし。一人暮らしの部屋の主(うっかり者)によって仕掛けられたびっくり箱のようなものである。ひとが自分の寝顔やいびきを知ることが出来ないように、彼が空っぽの部屋でなる目覚ましの音を聞くことも、絶対に無いのである。「いってらっしゃい」も「おかえりなさい」も持たない、孤独な(孤高の?)部屋の主。その、彼(彼女)の、本人さえ知らないドジな一面が、やはりうっかり寝坊した、アカの他人である私の気持ちに一瞬つながっていく、それはすごく面白いことだと思うわけです。

すごく良いと思っていたネスカフェのCM「朝のリレー」が、全日本シーエム放送連盟(ACC)のCMフェスティバルのグランプリを獲ったとのこと。私は「寝顔編」が好きなのですが、こちらは実は映画「誰も知らない」の是枝裕和さんの作品だそうです。「誰も知らない」のことを調べていて偶然知りました。このCM、谷川俊太郎の詩の力によるところが大きいわけですが、本当に良い詩だと思います。

実は、谷川俊太郎の詩については、先週もうひとつ、考えたことがありました。かなり昔に書かれた「ビリイ・ザ・キッド」という詩です。(以下、抜粋)

・・・俺がの上にあの俺のただひとつの敵 乾いた青空があ
る 俺からすべてを奪っていくもの 俺が駆けても 撃つ
ても 愛してさえおれから奪いつづけたあの青空が最後に
ただ一度奪いそこなう時 それが俺の死の時だ 俺は
今こそ奪われない 俺は今始めておそれない あ
の沈黙あの限りない青さをおそれない 俺は今地に奪わ
れてゆくのだから 俺は帰ることが出来るのだもう青空
の手の届かぬところへ俺が戦わずに済むところへ・・・

俺は殺すことで人をそして俺自身をたしかめようとした
俺の若々しい証し方は血で飾られた しかし他人
の血で青空は塗りつぶせない 俺は自らの血をもとめた
今日俺はそれを得た 俺は自分の血が青空を黄昏くしやが
て血へ帰つていくのをたしかめた そして俺はもう青
空をみない憶えてもいない 俺は俺の地の匂いをかぎ今
は俺が地になるのを待つ・・・

誤解ないように言えば、私は彼をビリイ・ザ・キッドにたとえるつもりも無いし、この詩になぞらえることで、彼のやったことに何か微塵でも意味を与えるつもりもない(というか、与えたくはない)。ただ、そのニュースを知ったとき、真っ先にこの詩が頭に浮かんだ。そして、この結末で本当に良かったのかと、強く強く思ったのです。