知らん間に8月もアテネオリンピックも終わった。今年も泳ぎにいけなかった。。。8月は徹夜を5回もやり、夏休みも潰れ、さすがに疲れた。といいつつ、9月に入ってからも早速1回泊まってるし。以前にもっと忙しい時期はあったけれど、そのときは、仲間もいたし、ひとつの方向に向けて頑張ればいい仕事だったので、それなりになんとか切り抜けられた。それに比べて今回は、仕事が3種類で、全部相手(客)が違い、上司も違うで、調整ができない。それどころか、うかつに他所の客の話はできないので、愚痴さえ言えない。そして、こんなに頑張っているのに、現場では1/3しか働いてないないと思われてるし。。。
今回のオリンピックは、日本がメダル争いに絡むことが多かったので、テレビ見る機会が少なくても、なかなか楽しめました。中継が深夜だったのも良かった。ただ、昔感じていた高揚感が、だんだんと薄れているような気もする。以下、雑感です。
- かつて、オリンピックは「事件」だった。けれど今、それは「ドラマ」になってしまった。スポーツは「筋書きのないドラマ」だと言われる。たしかにスポーツ観戦の面白さは、何が起こるかわからないところと、それを演じる選手たちの真剣勝負にあるのだけど、オリンピックの面白さは、それ「だけ」だったろうか。テレビはドラマとしての面白さを伝えようとあの手この手の工夫をして頑張っていたが、それが逆に、かつて伝えていたはずのいくつかのものを、振り落としてしまっているように思える。
- テレビの女子サッカーの特集で「オリンピック選手なのにバイトしながら頑張ってる」みたいな話があって、素直に感心したのだが、よく考えてみると、かつてのオリンピックはそうした人たち「しか」出場できなかったはずで、それがニュースになることに、時代の流れを感じる。。。というか、それをすっかり忘れていた自分にちょっと驚いた。
- (繰り上がりに無念さはありませんか、の問いに)「もちろんです。こういったハンマー投げの仲間の1人がこういう結果になり、ハンマー投げの選手のほか、円盤投げ、女子投てきでも2人が陽性で失格を受けている。非常にさみしい。悔しいというより、さみしい感じがします」。男子ハンマー投げ室伏選手の発言。裁定が出る前、アヌシュ選手のドーピング違反を「期待」するマスコミの論調に気持ち悪さを感じていたので、室伏選手の「さみしい」という言葉がすごく印象に残った。この問題解決の陰には彼自身の毅然とした行動があったわけで、彼は単純な感傷でこれを言っているのではない。実はこの言葉、あとでもう一度耳にすることになる。「(あんなことをしたら)見ているこちら側もさみしくなります」。これは男子マラソンのハプニングの直後、解説の谷口浩美氏の言葉。こちらは記録がないので、少し言い方が違うかもしれないが。靴を踏まれて「こけちゃった」経験のある氏が、選手の受けたダメージを解らないはずはなく、この言葉も決して軽い気持ちで言ったのではないと思う。こういうところに、オリンピック選手の凄さを感じる。