2003年4月9日 終戦?

パレスチナホテルの前,世界中のメディアの前で引きずり倒されるフセインの像。歓声をあげる市民。箸を止めて見入る。陰鬱な気持ちになる。もちろん,私がイラク攻撃に反対する理由は,他の人々と同じく,フセイン政権を擁護するためではないので,彼らが喜ぶ理由はよく分かるけれど,その映像が世界中に配信され,反復され,アメリカのプロパガンダに利用されていることを知ったら,彼らはどう思うだろう?直後のラムズフェルド国防長官の記者会見,イラク国民は今回のアメリカの仕事,攻撃がピンポイントで行われ,一般市民の被害がほとんど無かった(!)ことをよく理解している,という発言を聞いたら,どう思うだろう?。だいたい,この戦争は大量破壊兵器のあることが大前提ではなかったのか? それを使わず(無いから使えず?)崩壊してしまうようなフセイン政権は,本当にアメリカの言うような「脅威」だったのか?要するにアメリカは,ウソを言って戦争を始めたのではないのか?結果が正しければ(あるいは正しいと言いくるめることができれば),手段が不正でもよいのか?世界は,まさにマイケル・ムーアの言う,アメリカの造った「フィクション」の中で,転がされている。

もっとも,先のラムズフェルド国防長官の会見は,あまりに楽観的過ぎるような気がします。英米軍が歓迎されているとは言っても,それはイラク北部のクルド人自治区やバグダッド市北東部のイスラム教シーア派の多い地区など,反フセインの地域を辿ってきたから。それがそのままイラク全土で通用するとは,ちょっと思えない。この人,戦争の早期終結も予想してたし,とにかく見積もりの甘いひとだと思います。フセインの像を足蹴にするイラク市民だって,彼の解釈のような,そんな単純な気持ちで動いているわけじゃない。これは,たまたま今,小熊英二『<日本人>の境界』を読んでいるので,余計にそう思うのです。