4月に入り,桜が急に満開になりましたね。
作家の高村薫が以前書いていたのですが,桜というのは,大人になって発見される花,なのだそうです。幼い頃の桜の記憶がほとんどないことに気づき,何故かと考えてみたら,若い頃の四月というのは,新しい生活が始まる月であり,桜のことなど眼中になかったのではないか。言い回しはうろ覚えですが,だいたいそんな感じの話。人によっては異論があるのかもしれませんが,私はすごく腑に落ちるところがありました。確かに,小学校の頃を思い出すと「お花見」の記憶はあっても,満開の桜の記憶があまりない。いや正確には,満開の桜の記憶はあっても,それは一つの風景として心に残っているだけで,いまの私が満開の桜を見て「美しい」と思う,その気持ちは,当時の記憶の中にはない。
歳を重ねた私にとって,四月はもう,以前のような「新しい月」ではない。四月を迎えることは,歳を重ねることでしかない。そこで初めて,満開の桜が私の目に入ってくる。でも,見えているのは,今年の桜だけではないんですよね。だからこそ,余計に美しく見えるのだと思います。