また仕事帰りに東京に出てみるが、今日は集会が早く終わった模様。六本木まで歩く。

青山ブックセンターで小熊英二・上野陽子「<癒し>のナショナリズム – 草の根保守運動の実証研究」を購入。一時世間をに賑わせた「新しい歴史教科書をつくる会」について、当時小熊のゼミの学生だった上野が実際に集会に足を運んで実地調査を行い、その結果を卒業論文としてまとめたもの。この時期、非常に興味深い内容。上野も小熊同様「作る会」に対して批判的な立場をとっているものの、その手法は潜入調査というスタイルではなく、目的を明らかにした非常にオープンなかたちをとっているため、参加者たちも上野の問いかけに真摯に応えており、その結果、彼らの内面の志向にまで踏み込んだ内容となっている。

意外に思ったのは、彼らの、特に若い世代が、「左翼」だけでなく旧来の右翼に対しても強い嫌悪感を持っていること、そして時折ネットの掲示板など見かける攻撃的、挑発的な言動とは裏腹に、実際の彼らがとても大人しいということ、そして「普通」であることに非常にこだわりをもっているということ。私は激しい情熱と強い信念を持った姿を想像していたのだが、だいぶ違うようなのである。そして小熊は、過激とは対極にあるそうした普通志向にこそ闇が潜んでいると指摘する。

…彼らもまた、排除の構造によって抑圧され、そこから解放されたいと願っているのかもしれないが、そうした解放や<癒し>を志向するエネルギーによって、新たな排除を生み出しているのである。

そして彼らが考える<普通でないもの>が、彼ら自身の内面の投影であるのなら、それは決して消滅することはなく、永遠に発見され続ける。最初は「サヨク」が、そして「朝日」や「北朝鮮」が、次に「フェミニズム」や「夫婦別姓」が、そしていつかは「在日」や「外国人労働者」が、排除すべき<普通でないもの>として発見されるだろう。

たとえ彼らが、自分たちの攻撃によって、首尾よく「サヨク」を滅ぼすことができたとしても、事態は変わらない。彼らが違和感をもつ「過激な右翼」が、次には「戦中派」や「キリストの幕屋」や「従来の保守派」が、さらには「つくる会」の中央や幹部が、<普通でないもの>として発見され続けるだろう。彼らの不安が解消されないかぎり、<普通でないもの>の発見は永遠に続く。だがこうした排除の連鎖によって、彼らの不安が解消されることは、おそらくありえないのである。

…もし彼らが異常な少数派であるのなら、問題はむしろ少ない。問題は、彼らがあまりに「普通」であり、現代日本社会に広範にみられる特徴の一部を、極大化しただけの存在であることなのだ。

イラクの人質問題で日本政府に対して協力以上のものを要求することについては、私も強い疑問を感じる。しかし、家族に対してネット上や保守系メディアで行われているバッシングは、そうした批判の粋を大きく超えていると思う(参考)。また、今の状況証拠からはとても成り立ち得ない自作自演説を信じ込むのは、理性を超えた強い衝動でもない限り不可能だ。こうしたエネルギーの源はいったい何なんだ、と考えるとき、小熊の予言は非常に確かなものに思えてくる。

2004年4月12日 携帯ぷちぷち

朝抜きで会社に行き、昼抜きで仕事。経費節減と言いながら、人を動かすコストに鈍感なのはどうしてなんだろう。

仕事の帰り、久々に国会周辺へ行ってみる。

8時過ぎ、新橋からバスで霞ヶ関へ出て、特許庁脇の坂道を上る。役人なのか、近隣の勤め人の往来もあって、自由に歩ける。しかし、同じ道を走るクルマはみな、検問を受けていた。今日は夕方に集会があったらしいが、この時間、さすがに人もはけていて、警官の数のほうが多いくらい。そのまま国会裏まで行くつもりだったが、いろいろ訊かれるのも面倒なので、地下鉄の入り口あたりに座って、ちょっとぼんやり。今日はデジカメもないし(嫁さんが実家に持っていった)、パソコンもバッテリー切れ。ラジオでも持って来れば良かったかなぁと思いつつ、でもスーツにイヤホンじゃもろ○○だしなあ。所在無く携帯でニュースなぞチェックする。

ふと横を見ると、私と同じように、スーツ姿で携帯ぷちぷちやってる男性が。彼も私と同じように、サラリーマンで、気になって来たのだろうか。だったら話し掛けてみようかな。などと思っていると、人のよさそうなお巡りさんが私のところにやって来て「すいませーん、ここ、何時ごろまで居ます?」。本来なら頑張るところだけれど、やたら下手に出た言い方に意地悪な感じがなかったのと、私のほうもそろそろ引き上げる気になっていたので、素直に立ち去ることに。「ご協力ありがとうございます」そう言ってお巡りさん、隣の男のところへ。と、男、胸ポケットから手帳らしきものを出す。お巡りさん「あ、ご苦労様です!」と敬礼。なーんだ。

明日も夕方いろいろあるようなので、興味のある方はぜひ。

未明に、24時間以内に人質解放とのニュースを聞き、疲れてへろへろのだったので、昼間は家で休息。でも夜のニュースではまた違った状況に。こんなことなら出かけるべきだった。国会周辺はこんな感じだったようです。

この事件はどうなっていくんだろうか。いま私が一番心配しているのは、もちろん人質の安否ですが、それと同時に、米軍特殊部隊が奪還に動くこと。成功しても失敗しても、日本の国内世論は大混乱になるだろう。そのとき、ヒト(兵隊でもゲリラでも民間人でも)が死ぬということの重みが、みんなの心の中で決定的に変わってしまうのではないか、そんなことを恐れています。

相方が一週間の予定で大阪の実家に帰ることになり、その準備であれこれ。夕方、車で新横浜まで見送りに。かつて何年ものあいだ毎月の習慣だった「駅でのお別れ」を久々に体験。とても懐かしい気がした。

そのまま東京へ出ようと思ったが、さっそく道に迷い、菊名あたりをぐるぐる旋回。やっとの思いで横浜駅周辺までたどり着いたところで、今日、地元で友達が集まって焼肉食ってるのを思い出す。時刻は九時、もう遅いかなと思いながらも、電話してたところ、まだ始まったばかりだと。すっ飛ばして合流し、たらふく食う。そのまま友人宅へ流れて、夜二時までだらだら。

帰って、ネットの掲示板みてたら、イラクの人質事件に関して、あれは自作自演だ、そう仮定すれば全部説明がつく、などとという投稿が。ついつい反論を書く。

贋作の贋作としての価値は本物にいかに近いかということであって、芸術的な価値が高いということは、贋作には何の意味もない。それと同じように、どんなに説得力のある推理も、それは推理にすぎないのであって、それはどんな不条理な事実よりも、存在の次元が低いのだ(説得力があったとは思っていないが)。「そう仮定すれば説明がつく」という理屈が通用するのは、ペーパーテストの選択問題ぐらいのものではないか?。実生活はもっと複雑で、そこで相手を説得しようと思ったら「そう仮定しなければ説明がつかない」ぐらいのことは言えないとだめではなかろうか。もちろん一般的には、無責任にいろんなことを言い合うことで、新たな発見がある場合もあるけれど、現実のヒトの命がかかったこの問題で、そんな「言葉遊び」をする気には、私はなれない。

因果関係(こうしたらああなった)で説明できることなんてたかが知れているし、歴史上の事件のほとんどは、偶然の出来事や当事者の気まぐれに左右されていると、私は考えています。でも、偶然=説明できないものを切り捨てて、理屈だけで世界が説明できる、という考え方が、ネットの世界でかなり蔓延しているように思う。そして、そうした見方に私がついついひとこと言いたくなってしまうのは、言い方が少々きついですが、そこに「頭の良い者だけが世界を規定できる」という、歪んだ選民意識を感じてるからなのです。

2004年2月29日 「砂の器」

「砂の器」がすごく良い。映画版の印象がとにかく強いので、どうなるか心配でしたが、作る側の並々ならぬ気合を感じます。ただ、原作のもっとも重要なところが、ネット上であちこち読んだ限りでは、どうも変わるらしい。これだけ力をいれているのだから、絶対そこは変えずにきちんとしたもの作ってほしかったのだが。テレビは映画と違っていろんな人が見るし、それであらぬ誤解が広がったとき、作品が芸術的に素晴らしいからといって済む話ではなく、仕方がないことだとは思うけれど。。。ただ、今ならそれができる時期ではないかと思っていたし、それがきちんとできたら、世の中が変わるほどのインパクトのあるドラマになったと思う。そこはちょっと惜しい気がします。

2004年2月27日 送別会

今日の夕方5時半までの仕事があるのに、一昨日までトラブルが続出。それでもまあ昨日一日時間とればぎりぎり出来るだろうと思っていたら、昨日もやっぱりトラブルがあって、結局とりかかったのが昨日の23時。なんとか明け方までに上げて、朝の日比谷公園に麻原裁判の様子を見にいきたかったんだけど、結局朝になっても終わらず、午後3時過ぎやっと形になり、それから判子もらいにまわったりして、提出したのが5時20分。つかれた~。

その後、別の仕事を済ませて、夜の7時から、お客さん先主催のささやかな歓送迎会。うちの会社から外注で頼んでお客さん先に常駐してもらっているひとが来月急遽入れ換わることになったもの。この仕事、内容は単純なのだが会社関係が非常に複雑で、X社(お客さん)>A社(うちの親会社)>B社(うちの会社)>C社(今度抜ける人の会社)>D社(新しく来る人の会社)となっているのに、一番末端のX社とD社の人が机を並べて仕事しているという、変な仕事なのです。この仕事に限らず、実際の仕事の在り様やカロリー消費とは別のところで予算や賃金が決まっていることにすごく疑問を感じていて、でもそれが簡単に変えられないのなら、賃金以外の報酬(経験や知識や満足感)が仕事に見合ったかたちできちんと得られる職場にしていきたいと思ってるんですよ。まあ、言うのは簡単なのですが。。。そんなわけで、今度抜けるひとにはすごく御世話になったので、徹夜明けで眠かったのですが、出席しました。

楽しい飲み会でしたが、帰りはふらふらになりました。

2004年2月22日 デモ

d20040222-02夕方、ひとりで渋谷のレイブデモへ。前回(日記にあげてない)がえらい少なかったので心配していたのですが、今回は多かった。しかも密集して歩いたので、自然と横に広がって、歩道を歩くことができたし。方針が変わったのか、それとも前回の人数で油断していたのか、警備もそれほどきつくなく、前回めちゃめちゃガードがきつかった、歩道と車道の行き来も今回はかなり楽でした。飛び入りが多く、どこまでがギャラリーでどこからがデモ隊かわからない場面も。おかけで、カメラがぶれて、あんまりうまく撮れませんでした。。。

2004年2月21日 ズーラシア

昼前に起床。仕事が溜まってるんですが、気晴らしに、我が横浜市旭区が世界に誇る(?)動物園、横浜ズーラシアに行ってきました。1時半頃着いて、3時間ぐらいあれば観て回れるだろうと甘く見ていたら、4時半の閉園時点で2/3までしか回れませんでした。

明日も仕事はせず渋谷に行くんですが、天気は大丈夫かな。

毎日終電近くまで仕事で、時間的、体力的にきついというのもあるけれど、一日の間に4種類の違う仕事を並行してやる羽目になり、しかもそれぞれ頭使って知恵ださないといけない仕事で、その上に課の特許提出のノルマまで来て、頭の中が爆発しそう。

2004年1月12日 ごろごろ

相方が遊びに出かけたので、独り家でごろごろ。

今年に入って、ライブに行き、相方の実家に行き、仕事がまたひとつ増え、相方が39度の熱を出し、と、日記のネタはいくらでもあるのに、ずいぶんとサボってしまいました。