2004年7月18日 花火

金曜日も会社が休みだったので4連休です。忙しいといいつつしっかり休む。休日出勤をしたいところですが、会社がいろいろうるさいので。会社としては、別に社員の健康を考えているわけではなく、要するに休日出勤の手当てを削減したいらしい。

で、今日は横浜のみなとみらいへ花火を観にいく。観るのはたぶん5、6年ぶり。先に出かけていた嫁さんと待ち合わせをして、夕方から赤レンガ倉庫の入り口あたりで場所取りして待機。

この花火大会にはいろんな思い出があります。まぁ、さびしい思い出が多いですが。たぶん、同じように思っている人は他にも多いと思います。今は開催日がずれてしまいましたが、私が学生の頃は、確か毎年7月20日、これも日付がずれてるかもしれませんが、当時は終業式、つまり夏休みの始まる日に行われていました。その日は学校も午前中に終わり、明日からは毎日部活の猛練習。その間の気の抜けた一日、部室でだべっていて「そういえば、今日は山下公園の花火だっけ?」ってな話題とともに、なんとなく話がまとまって、皆でぞろぞろ見物に出かけたり。「なんとなく」とは言っても、そこは思春期の少年少女のこと。その流れは、あの時期特有の過剰な思いと畏れから生れてくる、ほとんど自然の摂理と言っても良いものなわけで。

実を言うと、当時自分がどんなモンだったのか、さっぱり思い出せない。もう二十年近く経ってるわけだから当たり前ですね 。だいたい、思い出すべきことなんて何も起こらなかったし(残念ながら、そのことだけは確かなのです)。それでも、隣でぎこちない会話を交わす若いカップルを観ていると、自分はそんな時間を持ったことなんてないのに、「ああ、昔も今も変わらないなぁ」と思ってしまうのです。

d20040718-01始まってみると、打ち上げ場所がちょうど赤レンガ倉庫の裏手あたりになっていて、視界的にはやや難がありましたが、充分に楽しめました。隣の女の子のグループは「あれ(赤レンガ倉庫)をシンデレラ城と思えばいいのよっ!」など言い、うまいこと言うなぁ、と感心。花火の種類も、眼鏡の形やうずまき、ドラえもんの顔が浮き出るものなど、工夫したものが多く、嫁さんと二人、手を叩いてはしゃぎまくりました。

2004年5月28日 「こんな夜更けにバナナかよ」

仕事が先週からトラブル続きで、2週間で徹夜3回、その他の日もほとんど終電。まいったね。

明日は妹の結婚式。で、そのお祝いを以前実家に渡しにいった帰りに妹が貸してくれた、渡辺一史「こんな夜更けにバナナかよ」を夜明けまで読む。札幌在住の筋ジス患者・鹿野靖明と、彼の在宅生活を支えるボランティアたちの群像劇。出てくるボランティアの一人が、妹が最近まで勤めていた知的障害者施設の同僚だとのこと。私のノンフィクション好きを知って薦めてくれたんだけど、これが出色の出来。いわゆる「障害者もの」「ボランティアもの」はたくさんあるし、最近はその「きれいごとでない部分」に光を当てた作品も多くなっているけれど、この本はその更に下、人間の心の奥に潜んでいる、生きること、他者を求めることへの、どうしようもなく混沌とした欲望を描いている。

2004年5月15日 「パッション」

映画「パッション」を観ました。子供のころテレビで観た「キングオブキングス」がとても感動的だったので、この映画も前からずっと気になっていたのです。暴力シーンが強烈だと聞いていたのでかなり身構えて行ったのですが、それは予想していたほどではなかった。とはいっても、イエスが十字架に架けられる場面はかなり顔が歪んだし、前に座ってた女の子は手で顔を覆ってました。イエスの痛みを徹底的なリアリズムで描くことによって、観る側に人間の肉体の限界と弱さを突きつけ、イエスの肉体を越えた思想を語る。それはかなり成功していたように思います。ただ、もっと難解な方向に行っても良かったのではないかな。終盤、いかにもアメリカ映画的な解り易い描写があって、物語の崇高さがややそがれてしまったように思います。痛みを通して聖書の世界を描くという点で、遠藤周作の「沈黙」を思い出しました。

夜、テレビで高石ともやと高田渡のドキュメンタリーを観る。60年代フォークについてはあまり思い入れはないのだけれど、高田さんは、以前NHKでなぎら健壱がやったフォークの特集番組にゲストで出ていたのを観て、その超然とした振る舞いや、ひねりの利いた歌がとても面白く、それ以来すごく気になっていた人。活字では知る機会があり、どんなひとかはある程度知識があったが、久しぶりに映像でみたら、やっぱり言われている通りのひとで、ちょっと嬉しくなった。

2004年5月8日 キルビル Vol.2

横浜・相鉄ムービルに映画「キルビル Vol.2」を観にいく。

感想は、というと、、、第1作のような突き抜けた無茶苦茶さがなかったのがやや物足りなかった。今回はラブストーリーということだったのである程度予想はしていたことですが。謎の中国仙人?が、口達者で必殺技持ってる割にあんまり強そうでなかったのが問題かなと。

2004年5月7日 アリの大群

自分でもすっかり忘れてましたが、今日は私の誕生日です。なんかくれ。

地元の飲み屋で嫁さんと祝杯をあげるつもりが、帰る途中、嫁さんから「部屋にアリの大群が発生!」との緊急連絡が入る。何のことか判らぬまま、スーパーで殺虫剤とアリの巣コロリを買って、急いで駆けつけると、台所と居間の床のいたるところにアリがうろうろ。シロアリではなく、普通の、小さいアリ。その動きをたどっていったところ、床と壁の境目のところ、ちょうどフローリングの床板と床板の間のくぼみで隙間になっているところから出入りしていることが判明。出入り口から最も遠い玄関部屋の端から順に掃除機をかけ、きれいになったところから殺虫剤で線を引いて進入禁止にしていき、なんとか制圧。しかし、この苦闘ですっかり疲れてしまい、飲み会は中止に。

さあ、こんなトホホな誕生日を過ごしたかみくず先生に励ましとお祝いのお便りを書こう!

2004年4月24日 法事

相方の実家へ。本当は日曜日に祖母の七回忌の法事があるので、4月生れの相方のバースデー割引を利用して飛行機で広島に行くはずだったんですが、独り暮らしをしている義母が最近参っているみたいなので、飛行機のチケットをキャンセルして、新幹線で途中下車して様子を見に。いろいろあったものの、久し振りの大阪はなんとも懐かしかった。

2004年4月20日 「熊とワルツを」

トム・デマルコ、ティモシー・レスター「熊とワルツを」。変なタイトルですが、内容はソフトウェア開発プロジェクトのリスク管理に関する本。非常にためになった。リスク管理というと最近何かと話題の「危機管理」と混同しそうになるが、ここで言うリスクとは、ソフトウェア開発における納期の遅れや工数の増大などを指している。著者は、問題は必ず発生する、リスクのない仕事に価値はない、という前提に立って、リスクを最小限にするにはどうすればよいかを、統計的な手法を使って、しかし分かりやすく説いている。

私は今まで、自分の手がけたソフトウェア開発が予定通りの日数で完了したためしがないがないし、またそのようなプロジェクトを見たこともない。それは、いつもぎりぎりの予定を立てているからだと思っていたのだが、この本を読んで目からうろこが落ちた。「この作業の見積もりを出してくれ」。そう言われて私(たち)が出していた値というのは、他に何も問題が発生せず、その仕事だけを順調にこなしていけば達成できる日数だったわけだが、それは本書によれば、ナノパーセント日=仕事が完成する可能性が0%ではなくなる最初の日であって、それはまさに「完成する可能性がほぼ0%の日」だったのである。そんな予定が、うまくいくはずはなかったのだ。

それからこの本、リスク管理の本質を語るため、冒頭に「信念の倫理」と題する、歴史的な演説の話が出てくるのだが、この話が非常に印象深かった。この演説の内容は付録として巻末に全文が収められており、単なる逸話以上の扱いになっている。これは深読みかもしれないが、プログラム開発技法の本という範疇を超えて、著者の何らかの意図があるように思えるのである。

2004年4月17日 バッシング

寝付けず、明け方に。早朝、TBS「みのもんたのサタデーずばッと」を見ていて、脱力。「~総理に会うには?」という、首相と面会するための手段をあれこれ紹介する情報ネタのコーナーで、小泉首相と面会したことのあるゲストの毎日新聞社の岩見隆夫氏、そこで聞いたことは記事にするのかと尋ねられ、躊躇もなく、今後の参考にはするが、オフレコです、と。読者を馬鹿にしとるのか。それとも、書けないこと以外は書くのが新聞記者だと思っていた私が馬鹿なのか。最近、毎日新聞はすごく頑張ってるから、とってみるかと思ってたが、やめた。(まあ本当は、毎日新聞だけがそうだったわけじゃないんだけど、彼の躊躇のないところがすごく引っかかるので)

夕方、嫁、帰る。今回は精神的にかなりきつい帰省だったろうに、辛抱強く良く頑張ったと思う。駅で待ち合わせをして、久し振りに飲む。

イラクの二人も解放されたとのこと。夕方のニュース速報で知る。二人のうちの「わったん」こと渡辺さんは、ムキンポさんのところの掲示板で何度か書き込みを読んだことがある方で、オフラインでは一度だけ話をしたことがあります。話をしたといっても、プラスワンのイベントの帰り道、たまたま歌舞伎町から新宿駅まで一緒に帰ったというだけなのですが。だから残念なことに、そのとき何を話したかは全然覚えていない。

私の読んだ書き込みは別のハンドルを使っていて(だから本人となかなか結びつかなかった)、それが文学的な感じだったので、きっと色白のナヨっとした文学青年タイプだろうと予想していたところ、実際の渡辺さんは体格も性格も腹の据わった感じのする方で、想像とのギャップに驚いたのはよく覚えています。

いま、人質やその家族に猛烈なバッシングが行われているけれど、そんな渡辺さんなら、なんとか乗り切ってくれるような気がする。いまはどの家族のインタビューも「みなさんのお陰で。。。」を連呼して気の毒なくらい。いったい「みなさん」って誰なんだ。献身的に働いた人は確かにいただろう。けれど、少なくともそれは「新聞(=他人のふんどし)ボードに並べて読むだけのアナウンサー」や「それに思いつきの感想言うだけのゲスト」や、わたしのような「そんなニュースをただ見てただけの人」ではないはず。何か迷惑を受けたり、実際に走り回ったひとが、日本全体でどれだけいたのか。その人たちから不満の声はあがっているのか。税金ムダに使われたというが、朝刊の見出し読むだけの情報番組と、この素人の書いたイラクのレポート(無料)の、どちらが国民にとって価値がある情報だろうか?どちらがより「責任」を果たしているだろうか?ご丁寧に人質事件の経費を算出したスポーツ紙があったが、解決は本当にそのお陰なのか。民間人が奔走して、人質たちの活動や日本の幅広い世論をアピールしたことが解決につながったのではないのか。だとしたら、政府の使った費用の幾らかは、使い方を誤ったムダ金ということではないのか?気に食わないから、関係ないのに「金を出せ」。世間では普通それを「いいがかり」と言う。

3人が解放されたと思ったら、また別の二人が消息不明に。テレビも新聞もまったく見ていないので、ネット上の断片的な情報だけ読んで、たぶんデモやイベントで私とすれ違ったこともあるんだろうなぁと漠然と思っていたのですが、実はどうも、すれ違うどころか、話したこともある人だったらしい。かなりびっくり。

向こうの通信事情はかなり悪いらしいので、単に連絡が取れないだけだと良いのですが。。。

うちの相方、久しぶりに実家でのんびりするはずが、いろいろあって忙しい様子。力になってやりたいが、離れているので思うようにならず。でもまあ、本人すごく良くやってるみたいだし、心配しすぎるのもあんまり良くないかな。