2003年3月27日 おだぶつ村

昼間のうちにやっつける予定だった仕事が,何故か全然終わらず。最近,仕事のペースが落ちている。どうにかしないと。

本当は定時に退社して共同アピールの会のおだぶつ村を覗きに行きたかったんだけど,やむなく残業。今晩のイベント,パネラーは今月4日のロフトと同じだし,パスでもいいか,と思ってたのに,どうも結構盛り上がったらしく,終わってからみんなで飲みにいったらしい。ちょっと悔しい。まあ,駒込で夜十時から飲み会なんて,横浜市民にはどっちにしろ無理なんだけど。あと,増田さんの映画もこの前観たのから編集が入ったみたいで,それ見逃したのも残念。

2003年3月26日 ニュースステーション

椎名林檎がニュースステーションに出演。残業で間に合わなかったので,横浜のネットカフェで観る。最近ビシッと作り込んだ映像ばかり見ていたので,自然な感じがすごく新鮮。

2003年3月25日 キレイな戦争

一日中,猛烈に眠くて困った。

戦争の方は,当初あっさり終わると見られていたのが,ここへきて雲行きが怪しくなってきましたね。どうなるのでしょう。chanceのメーリングリストに,現地の負傷者の画像を載せたアルジャジーラのサイトが紹介されていました。で,見たのですが,もう絶句です。何も言えません(刺激の強い画像なので,URLは載せません)。もちろんプロパガンダの意味もあるのでしょうが,それを差し引いても余りありすぎ。本当に「キレイな戦争」なんてあり得ない。

2003年3月24日 歯が痛い

夕方,急に奥歯が痛くなった。で,喉のリンパ腺も腫れていたので,ぐりぐりほぐしてたら,歯の痛みも退いた。何だろう?

2003年3月23日 大阪

「大阪では,『トリビアの泉』を,日曜の朝9時からやっている」

思わずへーへーボタンを連打したくなりました。でも,そう思うのは東京中心主義というもので。関西の人,というか東京以外の人にとっては,深夜に『探偵!ナイトスクープ』や『さんまのまんま』をやってるのが,信じられないのだそうです。

というわけで,大阪で一日のんびり過ごしました。

で,帰る前,せっかくということで,梅田のアメリカ総領事館に寄ってみました。梅田の南,中之島のちょっと手前にあるアメリカ総領事館は,大通りに面して他の建物と並んで立つ,ごく普通のビルでした。時間は夜7時を過ぎていましたが,ビルの前にはたくさんの警官が立ち,それと向かい合うように,20人ほどが居座っていました。座っている青年に話を聞いたところ,昼間にはデモもあったそうです。警官が目と鼻の先に立っているので,カメラ構えるのも気が引けて,写真は撮れませんでした。

で,家に帰って,大阪の運動の情報を調べてたら,こんなサイトを見つけました。ここ,写真がすごく良いです。私もこんな写真が撮りたい。

2003年3月21日 World Peace Now 3.21

World Peace Now 3.21。

d20030321-01私が入れてもらったのは,ロフト+共同アピールの会+雨宮処凛グループの連合軍です。出発地点は東京タワー脇の芝公園。コースは,銀座コースと,桜田通りを通って日比谷公園までの大使館コースの2系統。私たちは大使館コースでした。ただ,大使館コースとは名ばかりで,実際には「遠くに大使館が見えるコース」。しかも気づかないうちに通り過ぎてしまいました。まあ,今の状況を考えると,大使館のすぐ脇を通るなんて無謀なので,無理は言えませんが。桜田通りは銀座に比べるとギャラリーは少な目でしたが,広くて歩きやすかったです。あと,雨宮グループの「音頭取り」の方が絶妙で,ハンドマイクで音頭をとって,全然関係ない後ろのグループまで巻き込んでいました。彼はいったい何者なんだろう?あと,教会の前を通ったとき,牧師さん建物の入り口に立って見送ってくれたのがすごく印象的でした。

デモ終了後は有志でアメリカ大使館に行くことに。考えることは他のグループも同じで,みんなぞろぞろと霞ヶ関方面の出口に向かいます。しかし警察もまた考えることは同じで,出口には警官がずらっと並び,止めはしないものの,プラカードを掲げて歩かないよう注意していました。大使館への流れがデモ化するのを阻止したいようです。こちらも,何となくばらけながら移動します。虎ノ門まで来たところで,現地から,大使館のかなり手前で阻止されていると連絡が入り。万が一のことがあるとマズイので,そこからは完全な個人行動ということになりました。

d20030321-03特許庁前につくと,外堀通りの入り口,JTビルのところで,警察隊と群衆が対峙していました。しばらくにらみ合いが続いていたのですが,交渉があったのか,警官の隊列の一部が空けられ,実行委員?の「非暴力でお願いしまーす」の呼びかけのもと,群衆は空けられたところを通って,歩道をゆっくりと前進。しかし,既に前にかなりの人がつまっており,しかも周りは警官隊が歩道をびっしりとガードしているので,袋小路状態。と,反対側の歩道も行けますと知らせてくれた方があり,一旦引き返し,道路の反対側に渡って前進。こちらは比較的空いており,大使館の正面まで出ることができました。

後からニュースで知ったのですが,このとき大使館前には1200人が集まっていたのだそうです。数々の旗やのぼりが振られ,楽器が鳴らされ,騒然とした状態でした。ただ,これは作戦なのでしょうか,正面の道路をはさんで左右の歩道に分散されてしまったため,人数の割りには勢力が削がれた感じになっていました。(外堀通りから左側の歩道を上っていくと,大使館の前で袋小路になってしまい,しかも場所も狭い。それよりは,右側を上っていくか,あるいは六本木通り方面から進入するかして,自転車会館の前に集結するのが良かったと思います)

しばらく居てから,腹が減ったので近くにあるコンビニへ。しかしおにぎりも弁当もすべて品切れ。唯一残っていたが「アメリカン」ドッグだったのは笑いました。仕方ないので,一旦六本木通りに出て,ラーメン食ってきました。

d20030319-01で,大使館前の戻ってきたところで,活動家風の男性二人がビラまきをしようとして警官と衝突,一気に拘束されていく場面に遭遇。大使館前にいた男性二人が警官と小競り合いしていたところまでは良くある風景でしたが,警察のマイクによる号令で事態は急変。一気に警官が集まり,その外側には私服の刑事が。メガホンの「追尾せよ」の号令の元,移動する男二人を追って警官,私服も大移動。ラグビーのスクラムがボールを追ってずるずると移動していくように,集団は大使館前の坂をずんずん下りていきます。で,溜池通りに達したところで,警官が二人を完全に取り囲みます。この日は報道機関も多数来ていて,テレビカメラがあったせいか,取り囲んだ後は膠着状態に。結局最後までは見届けませんでしたが,警察に拘束されるという事態がいかにシビアかということを実感しました。

大使館前の抗議行動は陽が落ちてからも続き,途中,サックス奏者が加わってからは,コールの合間にアドリブが入り,またそれに呼応してコーラス風の声が入るなど,セッションのようなっていき,それはいつまでも続いていました。

2003年3月20日 再び大使館

空爆始まる

新橋駅に着いたのが7時半。北口のバス停からバスに乗る。通りがひどく渋滞しており,霞ヶ関の方を見ると,パトカーのランプが激しく光っており,嫌な予感。

d20030320-01案の定,虎ノ門から先,道路脇に警察のバスが何十台も停まっている。バスを降りると,怒号の渦。今日は新左翼も来ているらしく,それを取り囲むもの凄い数の機動隊。警察が拡声器で公務執行妨害云々と叫んでいるのが聞こえる。大使館への道は,特許庁の前,外堀通りに面した坂の入り口ですでに完全に封鎖されており,大使館に近づこうとする多くの人々が足止めを食らっている。そこで雨宮処凛さんを発見。挨拶をし(といっても雨宮さんははこっちを覚えてなかったみたい),状況を教えてもらう。曰く,大使館への道はすべて封鎖,ただし用事によっては通れる場合もある,とのこと。とりあえず溜池から六本木通りへまわってみることに。しかし,六本木通りも,大使館に通じる道はすべて警察が立って検問中。通りはプラカードを持った人たちが抜け道を探して行ったり来たり。その内の一グループに状況を聞くが,やっぱりダメのよう。ただ,六本木通りは外堀通りほどは堅くなく,封鎖区域内に勤める会社員などはするっと通っている。私もウソ言って突破しようかと思ったが,ウロウロしてたからバレバレだろうと思い,止める。

。。。と言いつつ,五分後に私は大使館前に居たのでした。どうやって突破したかはナイショ(ウソもついてないし,違法なこともしてないですよ)。

d20030320-02大使館前ではロフトの増田さんに遭遇。ビデオで撮ってもらうが,にやけてしまってNG。その後しばらくして平野さんと謎のサラリーマンMさんが登場。「どうやって入って来たんですか!?」と聞いたら「いや,あっちから普通にきたよ」とのこと。何でだ~。しばらくして,二人が増田さんと引きあげた後,今度はナイフさんとムキンポさんが登場。ムキンポさんから,逮捕者がでたことを聞かされる。

だいぶ前から,「攻撃が始まったら6時半にアメリカ大使館前に集合」という話はネットで流れていて,今日も1000人以上集まったらしいのですが,とにかく大使館の周りは400メートル四方に渡って封鎖されてしまい,集結することなく終わってしまったのでした。とにかく,周辺は猛烈に混乱していて,本当ならもっと写真を撮って記録しておくべきだったのですが,封鎖区域から出たら戻れなくなってしまうので,あまり動くことができず,非常に残念。

でも本当に残念なのは,当然ながら,攻撃が始まってしまったことなわけで。私の場合,別に実効性を求めて大使館に足を運んでいたわけではないけれど,それでもやっぱり,何とも言えない虚脱感は残ります。

2003年3月17日 晴子情歌

会社でちとブチ切れそうなことがあったが我慢。幾つになっても,生きていくって難しいですな。

去年出てすぐ買って途中で放ってあった,高村薫『晴子情歌』。また読み始める。彼女の作品を読むのは忍耐とパワーがいるので,去年はちょっときつかった。今は,とっかかるぐらいの力ならある。一旦入り込むと,言葉がするっと流れていく。

いつも粗野で無骨な中年男,美しい青年ばかりを描く彼女が,女性をきっちり描いたのは今回が初めてではないかな(ファンの人,教えて)。性のヒネリが入っていない分,作者の世界観がこれまで以上にストレートに出ている気がする。(原文は旧漢字)

…当面の苦労はあっても,そこそこ食べていける限り,自分の生きる道に迷ひのない人生というのがかくも穏やかで明朗なものかと,私はいつも眼を見張るやうな心地でした。歓喜にも失望にも疲労にも意気込みにもはつきりとした輪郭があり,それらを区切るのは健康な眠りで,朝は常に新しい。単純な生き方ほど生命にとつて望ましく,精神にとつて健やかなのだと強く感じた私は,自分も出来ればそんな風に生きたいと思ひ,日記にさう云ふ意味のことを書いたのを覚えてゐます。『アンナ・カレーニナ』の登場人物,大地主のレーヰンが自分の農場で労働の喜びを発見したのが,農民への理解と云ふ善意と一つであったのとは違ふ,理解でも善意でもない生きることそのものの単純さを,私は欲しい,と。

…しかし一体,かうして英語教師の野口康夫は死に,一人の漁夫が生まれたのでせうか。私はそのとき何の返事も返せず,昏い海を見続けるばかりでしたが,思ふに,さうして康夫が何を発見しようと,漁夫や農夫たちの単純で強靱な生はたぶん,私や康夫の手中にはない何ものかであるのでした。折々に別の生のありやうを幾分か感じ取ることは出来ても,人にはそれぞれ自分とは重ね合はすことは出来ない断層が予め備はつてゐいるに違ひないのです。先日,私は生きることの単純さを欲しいと日記に書きましたが,足を砂だらけにして浜を駆けていく男女を愛らしいと思ふこころは,さう云ふ人生が手中にない者に与へられてゐるに違ひないのです。

2003年3月15日 2003年3月15日 またデモ

本当は行くつもりがなかったのですが,いろいろあって結局またデモへ。

d20030315-01今回のコースは,夜6時半に千駄ヶ谷を出発し,原宿を抜けて渋谷駅前を通り,宮下公園がゴール。千駄ヶ谷では昼間に真面目な集会がありましたが,そちらは観ず(というかその時間は寝てた),原宿駅の先(北側をずっと行った原宿外苑中学あたり)でデモ隊を待って合流しました。デモで原宿を通ったことは何回かありますが,いつもは表参道ばかりで,竹下通りの前を通るのは今回が初めて。信号待ちの人でごった返す原宿駅・竹下口では,通行人とデモ参加者がごっちゃになっていました。

韓国の民族音楽のグループ(あれは何と呼ぶのでしょう?)があり,お坊さん達の太鼓があり,またその他いろんな音楽があって,いつものように賑やかなデモでした。しかし,参加人数が多かったことにより,緊迫した場面もありました。

d20030315-02顔見知りが居ないかと列の中を泳いでいたのですが,原宿駅を過ぎたあたりで,車線をはみ出した一部参加者と,それを押し戻そうとする警察との小競り合いに遭遇。スタッフがその都度うまい具合に間に入り,大事には至らなかったものの,ピリピリした空気が。穏健な参加者が多いデモの中で,そこだけ突出していて,代々木競技場前の坂道では,一時10人以上の公安がそのグループの横に集結して歩道を併走。いつもは人混みに紛れているおっさん達が,集団でぞろぞろ歩いているのは,変な光景でした。それじゃ目立ち過ぎるって。

と書くと笑い話のようですが,小競り合いが起きたとたん,そのうちの1人がダーっと道路の反対側に渡り,現場にカメラを向ける,逮捕を想定したような場面もあり,実際はかなり心配な状況でした。その後,電力館前の信号では,そのグループのところでデモ隊を分断して,また小競り合いが発生。前の隊列は知らずにどんどん離れていき,間にいた参加者たちが前の隊列のところに走っていって大声でストップかける,という事態も。また,渋谷デモの要所(と私が勝手に思っている)丸井前でも,交差点のど真ん中でまた小競り合いが。

そうこうしながらも,双方の当事者を含むすべての人々の忍耐と努力で(笑)無事ゴール。部分的には緊迫したものの,全体的には明るいデモでした(だから,これ読んだ人も敬遠しないでね)。今回の参加者は主催者発表で2000人だそうです。

まあ,デモにああいう小競り合いは付きものだから別にいいのですよ。アピールする側も,経験や法的な知識があるから,どこまでがOKでどこからがマズか知って動いているし,逮捕されるということがどんなことかよく分かっている。末端の警官も,高圧的なコトを言ったって,やっぱり最終的には面倒なことは避けたいと思ってるだろうし。要するに両者ともバカではないということで。けれど,これから,そういう知識のない人々が大量に入ってきたときどうなるか。今まで「お巡りさんは私を守ってくれる人」という枠組みの中だけで生きてきたひとが,そうではない枠組みの中で,果たして正しく行動できるかどうか。

知識のない若い人が無計画に暴れて痛い目に遭う,という心配が一つあるわけですが,それより,今まで警察を無邪気に信頼していた穏健な人々が,そうではない枠組みを知ったとき,その反動でどう変化していくのか,それがすごく気になります。純粋な人ほど極端に走る傾向があるし,「自分たちの運動は昔の運動とは違う」と思っている若い人たちは,昔の苦い教訓に耳を傾けてくれるかどうか。